私は苔に興味がある。そこには妖精の世界があるからだ。人に注目されずひっそりと潜む無垢な者の森。やがて羽を背中に付け、空中を飛びまわる者たちの場所だからだ。妖精たちは雨が降る事を喜び、朝日に照らされ笑顔になる。森を寝床にする命は、現代の人に必要な潤いの教訓をも引き出す。
伊勢市二見町にあるショッピングプラザ「伊勢夫婦岩 めおと横丁」のカフェで、苔玉作家の「TOMOKO」さんが体験教室をしてる。彼女は苔を丸くした球体の中に植物を植え盆栽アートをする。私は彼女が森と会話している様に見えた。
コロナ渦でカフェが休業していた時期、苔への探究心を満たすため、彼女が苔を採取している森を見せてもらう事にした。
雨が似合う。
取材日は雨の日にした。直感で「苔は水との関わりがきっと深いから、雨が苔に似合う」と、自分なりの仮説を置いていた。
少しの疑問もあった。苔とカビは一緒なのか、それとも苔は樹木なのか。また君が代の最後の歌詞に出てくる植物が、なぜ苔なのだろう。深い真理が隠れていそうだ。
少し調べると、人の体重60%は水分でできているらしい。例えば体重70kgの成人男性ならば、約42リットルもの水を体内に蓄えていると言う。 つまり人間は水でできていると言っても大げさではない。
また地球も70%が水に覆われていて。 そのうち、97.5%は塩水で、淡水は残りの2.5%と言う。その中でも0.02%しかない選ばれた水を人は飲み、体内に蓄える。
恵みの雨が降る。
「苔日和」とでも言おう。もちろん誰でも山に入り、植物を採取できない。海に漁業権があるように、山にも権利がある。そのため採取や取材には許可が必要だ。TOMOKOさんは「定期的に許可申請を更新している」と説明してくれる。
三重県の山奥には人を寄せ付けない森がある。その森で清流が生まれ、伊勢の平野と海は、豊かな営みを維持できている。この自然の中で植物が育つためにまず、
微生物の働きが必要不可欠である事が最近では認知されつつもある。農薬を使わないミニマムな自然の循環環境がここにある。蛇口をひねれば水が飲める事、これを当たり前だと思う社会は豊かである。
私たちの手元に届くまでに水は、海と空の旅をした。暑い空気と冷たい空に触れ、水は苔に戻ってきた。
重力に潜む粒子をつかめない様に、この感性を人が言葉で表現すると浅く感じてしまう。どうやら私たちの住む次元とは別の世界が苔にあるようだ。
苔を俯瞰視する。
森の木々から町を眺める感覚は、雨の中で傘を持ち出す必要を感じなくさせる。TOMOKOさんは「学生の頃から傘を使わないんです」と話した。その理由も感性の感じるままの行動だった。
高校生の頃、一人で大阪の生駒山を学生服でよく登っていた事を教えてくれた。雨が降ってもずぶ濡れになりながら、山に登ったと話す。彼女に「まるで宇宙人ですね!」と、言葉が出てしまう。
苔と樹の根っこのイメージは、ジブリ映画で見たことがある。その表現は貴重な時間の経過と、静かな命の基礎を語っているように感じる。それはまるで大樹を温める布であり、赤子を包む布団ように苔は森を温め癒している。
少しイメージを発展させると、苔は未来の地球を作っていると言ってもいい。そう思うと君が代の歌詞の最後に使われている例えに感動する。
突然「あっ!きたー!」とか。
「わーーー!」とか声がする。
妖精がTOMOKOさんの手に持つ苔玉に飛び込んできた。それも不思議な虫の妖精だ。ポーズをとる様な姿に「この子は!」と声も大きくなる。妖精は数ミリもない小さな体をしていて、レンズの焦点を合わせるのも難しい。
撮影に時間がかかっても、OKが出るまで仕事をするモデルの様だ。いろんな意味で、「いったい何者だ!」とまた声が出た。
世界の果ては、苔
極論を言うと、苔玉を地球としたなら人も苔に住む虫とよく似たものだ。産まれる赤子は妖精で、人間社会の森で大人に成長していく。何かしら森の原理原則と共通しているようだ。つまり苔を無視するなら地球の未来はない。森の循環で目立たない存在こそ世界を支えているのだ。ここに、コロナ後の未来へのヒントが見つかりそうだ。
木ではなく森を見る事、今の世界を、苔を見下ろすように俯瞰視する。するとカビによって鉄が錆び、腐敗していく場所が見えるだろうか、それとも、多くの水の中で、数少ない飲み水の雫が落ちる場所に気がつくだろうか。皮肉にも枯れてしまったと感じる社会の潤い。それでもある感性が磨がれた人も少なくない。今はその感性で人間社会の営みを小さく見、地球を俯瞰見る時かもしれない。
苔の森にはマイナスイオンが住み、樹木や動物、生命全てが恩恵を受けている。その存在に対する感謝が社会にもっとあっても良いと思う。
例えば苔は水がない時、枯れるのではなく乾燥して時を待つ。だが地中では微生物が働き、土をやわらかくしている。それは酸素を含んだ水を蓄える準備だ。同じ様に私たちも柔軟な心と、受け入れる体勢を整える事だ。
そうすれば新しい水が来た時、その価値を一杯に膨らませる事ができる。そしてまた土と苔が妖精を呼び込み、豊かな生活の助けをするのだ。
繰り返すが、私たちは現代の状況でも比喩的な微生物を育てる必要がある。活動が制限され、枯れてしまいそうでも、実は静かに留まる時が育てる時だ。そして水を得る時が来たなら、準備した体内に激しく取り込むのだ。
私たちは小さな土の苔玉と一緒だ、この手に小さな森を持つ。それは普遍的地球の循環を、自分と繋がる象徴なのだ。
最後に苔はカビではない。苔は営みを維持するための保護だ。苔むす事とは時間と命の深み、営みを示し、豊かな地球の未来を意味している。
地球の生命は水から始まった。
そして微生物を優しく包む苔に水が移ろい、
人に移ろった。
そして母親の胎内に移ろい、
私たちが産まれたのだ。
TOMOKOさんの活動拠点
おなけの動画
yoshitugu imura。Otona記者。サーファーからフォトグラファーに、海に持っていったギターでミュージシャン活動もする(波音&Ustreet )ドブロギター奏者。 伊勢市在住。この記者が登場する映像