ホーム 04【知る】 連載エッセイ【ハロー三重県】第10回「味ごはんは平和の使者だから」

連載エッセイ【ハロー三重県】第10回「味ごはんは平和の使者だから」

「味ごはん」という方言に関して、いまだにうっすらとベールがかかっている感じがある。

そもそも、私は味ごはんという言葉をずいぶん長い間、勘違いしていたのだ。
あれは、まだ京都でお勤めをしていた頃。
岐阜県出身の同僚が、「白いごはんが苦手で、しょっちゅう味ごはんにしちゃう」と言っていた。
彼女はお料理がとても上手で、いつもかわいらしく詰められたお弁当を会社に持ってきていた。
よくよく注意してみていると、彼女のお弁当のごはんは、いつも何かしらの具が混ざっていたり、ふりかけがかかっていたり、梅干しが乗っていたりしていた。
なので、私はなにかしら味がついているもの、それすなわち味ごはん、だと勝手に解釈した。そして、そのときは別段、方言だとも思わなかった。
味付きごはんのことを彼女自身のボキャブラリーが、味ごはんと言わせているのだと思った。

時は流れて、私は三重県に嫁いだ。
ある冬のこと、夫の実家で、地区の行事ごとがあり、参加するといいよ、と勧められたのだ。

「行ったら味ごはんがもらえるから」

義実家の家族が口をそろえて言った。
みんなが何度も「味ごはん」「味ごはん」と繰り返していて、なんだかよほどおいしいものなんだろうかと期待が高まった。
今から食べる「味ごはん」はなにか特別な料理なのだと、思い込んでいた。
会場におもむくと、大きな業務用の炊飯器いっぱいにこしらえられた炊き込みご飯らしきものが用意されていた。
私が知る炊き込みごはんより、色は白っぽかった。
具も私が知る炊き込みごはんよりは小さく、味も私が知る炊き込みごはんより、あっさりとしていた。

この町ではこの炊き込みごはんによく似た、炊き込みごはんより少し白いごはんを、「味ごはん」と呼ぶのだな、と、私はまたしてもおかしな解釈をした。
たぶん今思えば、それは作った人の塩梅でしかなかったのだけど。

そんな、ピントが少しだけずれた味ごはんを認識したまま、三重に来て、早10年が経過した。
実は、味ごはんについてまだ、いまいちよく分かっていない。

先日、味ごはんという方言に関するツイートをTwitterで見かけた。
ツイートによると、「味ごはん」というのは東海三県で使われる方言であるらしかった。意外と広範囲。

けっきょく味ごはんの定義って何なのか、今さらながらふと気になったので、夫に訊いた。

「味ごはんってつまり炊き込みごはん?」

「うん、そう」

「じゃあさ、混ぜごはんは?」

甘辛く炊いた具を混ぜた、混ぜごはんはどうだろう。

「うーん。味ごはんかな」

そうか、味ごはんか。

「松茸ごはんは?」

「味ごはんやね」

「チャーハンは」

「…っ(鼻で笑った。ひどい)。和風じゃないからちがう」

そうか。

「じゃあ、手こね寿司は?」

三重県のおいしいお寿司。手こね寿司。漬けのお魚が乗っていて、酢飯にもお醤油が染みていておいしい。大場やらゴマやらが混ぜ込んであるやつが特に好きだ。

「なんでや!手こね寿司は手こね寿司やろ!!!」

はいすいません。手こね寿司は手こね寿司です。
なにその権幕。

「じゃあ、ウニごはんは」

「うーーん、味ごはん」

ちょっと迷った。うにごはん。でも味ごはん認定。

「じゃあ、牡蠣ごはん」

三重にはおいしいごはんがたくさんありすぎる。

「うーん。味…ごはん…かな」

ウニごはんとの差はなに。

「じゃあ、栗ごはんは」

「それは味ごはんじゃないやろう!」

いや、知らんけど。
ていうか、栗ごはんに失礼だ。

ウニごはんが味ごはんで、栗ごはんが味ごはんでないのはなんでなの。ビジュアルはほぼおんなじな気がするのだけど。
ごはんに黄色が点在している点ではほぼ同一ではないの。
栗ごはん嫌いなんかな。

スガキヤ*のラーメンについてくるあのごはんは、と訊ねたら、「あれは味ごはん!あれこそ味ごはん!!」と、今世紀一番の味ごはん認定が飛び出した。
*(他府県の方のために説明すると、東海圏ではインスタントラーメンで有名なスガキヤのイートインのお店がショッピングモールなんかのフードコートにあって、ラーメンとセットで五目ごはんがいただける)

つまり醤油っぽい甘辛い味が重要ってことだろうか。

「じゃあ鯛めしは味ごはんじゃないよね」

鯛ごはんが甘辛い醤油味だった試しなんてない。

「いや、あれは味ごはん」

なんで。もう分からない。

そこは、「鯛ごはんは鯛ごはんやろう」って言ってほしかった。

まとめると、あくまで夫基準だけど、一番味ごはんから遠いのが栗ごはんで、一番味ごはんに近い、というか、一番味ごはんなのが、スガキヤの五目ごはん、その間にウニごはんや、牡蠣ごはん、鯛ごはんなどが位置する、ということになる。

もしかすると人によって味ごはんの基準は異なるのかもしれないけれど、今のところ我が家では、こんな感じで腹落ちさせることに。
きれいな境界線が見えなくて、もやっとする部分もあるけれど。

きっと東海圏のいろんなところで、こんなふうに味ごはんの境界線を巡る論争は起きているのかもしれない。

あの温厚な夫の弁を熱くさせる味ごはんに脅威しか感じなかったよ。ほんと。

みんなくれぐれも、無益な争いはしないでね。

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