ホーム 03【お店へ行く】 駄菓子を手作りし続けるという歴史的文化遺産−駄菓子のあいや@松阪市

駄菓子を手作りし続けるという歴史的文化遺産−駄菓子のあいや@松阪市

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小さい頃一番身近だったお店、それは徒歩圏内にスーパーマーケットやコンビニが無い田舎で暮らしていたが故に生活用品も販売している個人経営の小さな駄菓子屋、その一択だった。

 

地元の多くの人、特に祖父母世代が何か無くなるとそこに無いかどうかと真っ先に名前を上げるお店で、子どもたちにとっては隠された宝を見つけられるかもしれない、とばかりに小学校が終わると財布を掴んで直行するような店だった。

 

大人になる前にその駄菓子屋は店を閉め、大人になってからは駄菓子の存在さえも普段は頭の中の引き出しの奥深くに眠っているような生活を送っていた。

 

そんな時、父から駄菓子を手作りしている店がある、という話を聞き、久々に駄菓子の存在感が頭の中で増すのを感じた。

 

そういえば自分の知っている駄菓子を思い返してみても、手作りの物って知らない。

馴染みだった駄菓子屋で売っていたのは10円で買えるあのスナック菓子や4つ入りの球状の風船ガム、鮮やかなピンク色をした砂糖菓子など、全て手作りでは無いのは明らか。

 

小さい頃あんなに夢中になったのに、全然気にしていかったな、という新しい気付きを見つけた時、その手作り駄菓子屋に行ってみることを決めた。

 

 

その駄菓子屋は松阪駅から程近い商店街・よいほモールの中の1店舗で、名前は「駄菓子のあいや」という。佇まいには昭和の雰囲気が残り、初めて訪れたにも関わらず以前に来たことがあるような懐かしさを覚える。約3m四方の店内には50点程の駄菓子がひしめき、圧倒される。

 

入ってすぐに飴玉のワゴンが目に入る。水彩絵の具で描きたくなるような優しくも鮮やかな色合いは、きらきらした表情で出迎えてくれて、思わず手に取りたくなってしまう。

その奥にいらっしゃったのは店主の吉田正博さん。製造から経営まで、この店を奥様とお二人で切り盛りされている。

駄菓子の宇宙空間のような店内を見回してみて色々と聞きたい事はあるけれど、まずはとにかく駄菓子を手作りしている、という事実。来店の理由を話すと、

 

「あいや、と書いた赤いシールが貼ってあるものが店内で製造している物なんですよ」

 

と教えてくださった。

飴玉を中心に、きな粉棒や大麦粉を練って作られたお菓子、棒状のおこしなどが並ぶ。保育園のおやつで食べたような気がして、懐かしい記憶が蘇る。

 

まずは一番聞きたいこと、なぜ駄菓子を手作りされているのか聞く。

 

「なかなかないですからね、手作りの駄菓子を作っているところは。スーパーやコンビニで買えるものはそれで良いけど。他には無いもの、と考えた時に長年やっているように作り続ける事で差別化を図ってますね」

 

ーよく見かける駄菓子が無いのもそのせいですか?

 

「そうそう。他に無いものを、って考え続けたら結局ずっと続けてるこのやり方がいいんじゃないかな、って」

 

昔からの技を磨き続けていると自ずと他店舗との違いをつけられる。吉田さんの語り口調は軽やかだけど、熟練の技を持った職人だから言えること。

 

あとは、と出していただいたのは店頭に並ぶカラフルな飴玉を作る道具。

「初めて見るでしょう?この道具はもう生産されていなくて、壊れたら誰か直してくれる人を見つけなくてはいけないぐらいなんです。でも、現行のものを作った時に大阪の菓子製造機器を造っていた会社の社長さんに特別に作ってもらった時からその恩を忘れられなくて。

もう約30年前のことですが、当時もこの道具はすでに製造終了していて、本当に助かったんですよね」

 

そう聞くと手作り駄菓子を作り続けるということは吉田さんご自身だけの想いで続いているのではなく、お店が続いていくのを望む人たちの気持ちも入っているのが透けて見える。

 

「こういうのもあまり見ないでしょ?」

 

と指し示されたのは年季の入ったガラスケースに入ったビスケットやかりんとう。中にはスコップが入っていて、それで袋に入れるのを想像すると何だかときめく。

このお菓子の計り売りも30年モノの什器を使われている。中にはスコップも入っていて、それで自分の欲しい分量だけを掬い取るスタイル。

 

「味噌や醤油、昔はみんな測り売りだったのは知ってるでしょ?それもだんだん無くなっていって今の人たちはその景色を知らない。でも、こういうのは風情として残したいと思っていて」

 

たしかにスーパーのお惣菜コーナーに量り売りがあった時、彩りや栄養も考えてパックに取り分ける時の高揚感は何とも言えない。ちょうど子どもの頃、少ないお小遣いでいかに上手に駄菓子を買えるか考え抜いた感覚に似ている。

 

そしてその奥に見えるのは作業場。手作りのものは全てここで作られているとの事。

「無くなったらその分作る、という感じで製造しています。

手作りの良さの1つとして季節ごとに調整ができるというのがあります。例えば夏は、手が覚えている。温度や感触でいい具合が分かるんで。

マッサージみたい、と言われた事もあります。だって、機械のマッサージも気持ちいいけど調子はずっと変わらないでしょ?その点手もみは受ける人の様子に合わせて強弱をつける事もやり方を変える事もできる。お菓子作りも同じやなぁ、って」

 

触覚や視覚、嗅覚を駆使してその温度や湿度に合わせたお菓子を作る。毎日毎日の積み重ね。そこから掴む、言葉では表せないもの。それを人は技と呼ぶんだろう。

 

そして、これからについて。今は奥様とお店を営まれている吉田さん。後継者についてどのように考えているか聞いてみると、

 

「もし店をやりたいと言ってもらえる人がいたらそれは嬉しいですけど、考えてやってほしいなとは思いますね。その時代に合わせて、柔軟な考えを持ちながらやっていってほしいですね」

 

という、これまでの歴史を想いつつも柔軟な考えを示された。

 

今までの言葉や商いの仕方からも、決して受け身ではないけれど、穏やかで自分がやるべき事を見極める。時代をいなすような姿勢で極めた技と在り続けるあいやは、時間が流れる速度が前より速くなったような今でも実直に、あるべき姿で佇んでいる。

 

 

松阪駅前の景色に溶け込む駄菓子のあいやは、今日もお客さんを迎え入れる。それは地元の常連客かもしれないし、ふらりと立ち寄った旅人かもしれない。

 

でも1つ確実なのは、お店に訪れた人が宝物を探すように駄菓子を選び、買った記憶は味覚とともに嬉しい記憶として永く残るという事。

また子どもたちにとっては大人になった時の楽しい思い出となる事だと思う。

 

そういえば、吉田さんは「手作りの駄菓子は歴史的文化遺産やと思ってるんです」とおっしゃっていた。確かにその言葉にふさわしい情景を今回伺うことができた。

残したい味と技は来店客の喜びの時を作り、その周りも明るくする。どれだけ時代が変わってもあいやの手作り駄菓子が作る幸せの連鎖が続くように、と願っている。

 

【駄菓子のあいや】

〒515-0083 三重県松阪市中町1869

-ホームページ

http://e-matsusaka.jp/e-dagashiya/

-Facebook 

https://m.facebook.com/dagashinoaiya/?locale2=ja_JP

 

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