ホーム 01【食べに行く】 伊勢志摩ジビエBambiがオープンする!美食家がジビエに魅せられ猟師に!さらに料理人となり店を開くお話

伊勢志摩ジビエBambiがオープンする!美食家がジビエに魅せられ猟師に!さらに料理人となり店を開くお話

どうやら人間は
経験したことがないほどの
美味しいものを食べると
笑いが込み上げてくる
生き物らしい。

 

ジビエに魅せられて猟師になった美食家

今回、伊勢で開業の準備を進める店を訪ねた。

村瀬さん

店を営む村瀬 滋さんは志摩市の漁師町和具で生まれ育ち、大蔵省(現財務省)に勤めた。美食家で国内外のフレンチなどを食べ歩き、辿り着いたのがジビエだった。

村瀬さん:ジビエに魅せられて猟師になって。そして食べる側から作る側に興味を持ち美食倶楽部を主催していて、いつかは自分の店を出したいと思っていました。

2019年10月1日にオープンする “Ise-Shima Gibier Bambi” の店内に入ると、こだわりのシングルモルトウイスキーなどが並ぶ。カウンターには最新式のギネスビールのサーバーも。

レトロな左官用塗料のパッケージには鹿
テレビは実際に映ります

古民家風の建物にレトロなアイテムが映える。村瀬さん自ら建物の設計も行っている。

ギネスビールを注ぐ、村瀬さんの奥様

村瀬さん:30代のときにギネスにハマって。それが始まりでした。ギネスの本場アイルランドを旅したり。魚介類が豊富で北海道みたいなところです。次にはシングルモルトにハマって・・。

店にはウイスキーマニアが好むケイデンヘッドも。ケイデンヘッドはスコットランド最古のインディペンデント・ボトラー。
私が店内をなめ回すように見入っていると、こんな料理が出てきた。

鹿あばら骨つき肉の薫製。

ナイフで削ぎながらギネスといただく。贅沢でビターな大人時間だ。
そもそもジビエ料理とは何なのだろう。村瀬さんに聞くと、ジビエ料理の発祥はフランスの王侯貴族で、貴族が領土内で狩猟した動物をシェフが調理し領土内で育てたぶどうで作ったワインでいただく伝統料理だと教えてくれた。

村瀬さん:これは、フランスのお城に住むお姫様に出すような料理のイメージです。

冗談も交えながら運ばれてきたのは鹿のステーキ。65℃で1時間の真空低温調理が施されていて、生に近いレアでいただく。香ばしい鹿肉は、噛む力がいらないのではと思えるほどの柔らかい食感。今この記事を書いているのは取材から数週間後だが、鹿肉の香りと食感は、いつだって思い出しては華やかな気分になるほどクセになる。

枇杷のソースと合わさり爽やかな風味が抜ける。
私はお姫様ではないがこの味にはトキメキを感じた。

村瀬さん:新芽の葉をエサにしている夏鹿は、香り高くて最高に美味しいです。ソースは夏なので枇杷ですが、季節によって素材を変えています。

村瀬さんは志摩市の森で仲間と檻猟を行っている。伊勢志摩ジビエと銘を打つには理由がある。温暖な日本西南地域の気候環境の最東端とされる志摩半島は、常緑広葉樹が多い。一年中緑の葉っぱがあり、木の実などのエサが豊富な志摩半島の鹿や猪は、香り高く肉質が良いという。一般的な猟は期間が限られているが、獣害駆除の資格を持つ村瀬さんは禁猟期間である夏にも狩猟をすることができるので夏鹿が扱える。

レアに近いジビエと聞き、やや不安げな表情をしていたであろう私が、鹿ステーキを口にして笑顔になると村瀬さんは聞いた。

村瀬さん:ぜんぜん臭くないでしょ?

確かにまったく臭みはない。その理由は処理方法にあるという。
檻に鹿や猪が掛かったと聞けば駆け付け、生きた状態のままその場で値段交渉。交渉が成立すればその場で仕留め、特注で作った冷蔵車に乗せ0℃の状態で自社の衛生許可済みの加工所へ運ぶ。素早く解体したら2日間ほど冷蔵庫で寝かせ水分を飛ばす。

村瀬さん:20年くらい猟をしてきて、水分を飛ばすことで臭くならないと思い至ったんです。

ちなみにこの店は最高の肉質にこだわるために、鹿や猪は子どものみを扱う。猟師として当たり前だが多くの命を仕留めることになる。村瀬さんは時に落ち込むこともあるという。

村瀬さん:檻のなかに子ども猪の兄弟がひなたぼっこをしていたこともあって。そんなとき想像するんです。もう檻から出るのを諦めてひなたぼっこをしているのかなとか、「檻にかかったのは兄ちゃんのせいだ」と兄弟喧嘩をしたのかなとか。そんなことを考えながら近づいていくと「うわー!人間がきたー」って言わんとばかりに暴れるんですね。わたしは仕留める前に話しかけます「お母さん来ないし、ひと晩大変だったね。えらかったね」。1分くらい話かけると子ども猪は段々おとなしく静かになっていきます。誉めるんです。「君は最高のステーキになるよ」。そして最高の料理に仕上げることが一番の供養になります。

看板やショップカードに描かれているイラストは、地元のイラストレーター、シャンティーさんが手がけた。一番最後に追いかけている子どもの猪が何とも愛らしい。

極力、余すことなく素材をいただき命への敬意を払うこと。
それがフォン・ド・ジビエという考え方だ。通常、狩猟で捕らえた獲物の骨は売りに出されず廃棄される。しかしフランス料理に精通した村瀬さんは、骨や端肉などを使い出汁をとる。また最初にいただいたあばら骨つき肉の燻製もそのひとつだ。話を聞き、私はうなずきながら深く感銘を受けていると・・、

村瀬さん:そんなことしてるの、多分私ぐらいですよ。ジビエオタクなんです。

と、照れくさそうに笑った。

ソウルミュージックが流れる落ち着いた空間で、いつまでも聞いていたくなる話をお酒を飲みながら。そんな贅沢なひとときに浸っていると座敷へ案内してくれた。

 

言葉よりも先に、込み上げてきたもの。

写楽の版画絵や趣のある陶器が飾られている和室に、猪のしゃぶしゃぶ。ん!しゃぶしゃぶ?

猪の鍋といえばボタン鍋しか知らない私には驚きだった。ボタン鍋は味噌や調味料で味付けをすることで独特の臭いを消すことができる。なので、しゃぶしゃぶだと臭いが残ってしまうのでは・・。

口に運ぶとサラサラと脂が溶けた。くどさも残らない。「美味しいです!」と言葉に発するより前に、腹の底から歓びの笑いが込み上げてきた。もちろん臭いもなく、これは村瀬さんの下処理のなせる技だ。

村瀬さん:しいの実を食べた猪は、透き通るような白い脂肉になります。

お話をしながらしゃぶしゃぶに合う日本酒をチョイスしてもらい、サラサラと溶けるシシ肉の食感とおちょこのお酒を何度繰り返しただろうか。

もうこうなると箸も酒もなかなか止まらず村瀬さんとの話も進む。

 

50年。磨いてきたものすべて。

村瀬さんが食通になったのは父親の影響が大きいという。第二次世界大戦で海軍兵として戦った父。亡くなった戦友もいたが自分は生き残った。父は「拾った命」と表現していたという。拾った命をお酒や美食で愉しんでいた。村瀬さんはそんな父のもとに育った。絵が好きで画家になりたいと思ったこともあったが、落ち着いたのは大蔵省。入省後は小説を書いていた時期もあった。そして美食の道に入りジビエに魅了され猟師になり、料理人となり今に至る。そんな村瀬流「道楽」について教えてくれた。

村瀬さん:道を楽しむと書いて道楽です。私にはジビエという楽しむ道があります。もっと振り返ると中学一年生のときから今までソウルミュージックを聴いていたり。もうあれから50年。磨いてきたものすべてがこの店にあります。

フレンチのみならず和食も手がける。料理のみならず空間も手がける。もしかしたらここから始まる “伊勢志摩ジビエの物語” は地域を変えて行くのかも知れない。

「飛び石は曲線で配置した方がかっこいいですね」と語る村瀬さんは、美しいものが好きだという。

取材が終わり、店の外で立ち話をしていた。ここ伊勢市古市は今は住宅などが建ち並んでいるが、お伊勢参りがブームになった江戸時代は歓楽街として栄えた。

村瀬さん:不夜城だったここに、この店がきっかけで若者などが出店してきたら面白いなと思ってるんですよ。ところで、どういうテーマで記事を書かれるのですか?

私:えーと、おいしい料理は笑顔をつくる・・みたいな。取材前はそんな感じで思っていました。

村瀬さん:だったら次回は和ジビエ “仔猪のリブステーキ” を食べてみてください。これも食べた人からは、笑いが込み上げてきていますよ。

ある一定の年齢を重ねた大人になると、時折とてつもなく美味しいものに出会いたくなる。それは生きていることの歓びを感じたくなっているシグナルかも知れない。そして想像を超える美味しいものを口にしたとき、笑いが込み上げてくる。生の歓びというやつだろうか。人間は心に正直な生き物だから。

村瀬さんの食への探究心は、この先どれだけの人の心を満たしていくのだろうか。
人間の持つ熱量に心が躍った、大人な夜でした。

Photo:y_imura

 


 

ジビエと和食とワインのお店
Ise-Shima Gibier Bambi
三重県伊勢市古市町227
tel 0596-64-8000

※2019年10月1日OPEN予定です

 

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