「正直ヘビは苦手です!」「できれば避けたい!」。この一般論は、障がい者を見る現代社会と似ている。
「 宝くじ号の話 」
「ヘビもよく観察したら何を考えているのか、今どうしたいのか、言葉がわかるんですよ!」「ブルスネークのブルくん!僕のペットなんです。かわいいでしょ!」と楽守(ラモ)君が言う。彼は自閉症の実体験からのメッセージソングを、「RAMO」と言う親子ユニットで歌い続けているミュージシャンだ。
松阪市宇気郷(うきさと)村、昔のままの自然が残る限界集落に垣内一家(父、章伸 、母、志ほみ、長男、楽守、次男、詞音)が暮らす。今回、音楽フェスAcoustcalのイメージモデルとしての撮影や、障がい者についての知識や感情移入を深めに来た。私は友だちのピアニスト「はんだすなお」と、春が始まった「うきさと村」を訪ねた。
この村では携帯は繋がらない。また、バスは学校の登下校に合わせて1日3往復しかない。
通りがかりのバス停に人影を見かけ、車を止めたがカカシだった。どうやらカカシに頼るくらい人口が少ないようだ。そして古民家に住む楽守君、小学5年生の頃から成長を見ているが、25歳になった。また少したくましくなっている。
宝くじ号
まず聴いてほしい曲がある。それは音楽業界ではファンタジーの歌がよく歌われるが、自閉症の子を持つ親子の実体験、このノンフィクションの曲をPVにした。
『派手なバスなのに 見向きもされない』
『年がら年中スモーク張ってる』
※ youtube翻訳機能を使うと歌詞が表示されます。
音楽の究極を話す。
この歌に出てくる問いかけは、社会の不都合にピントが合わない人が少なくない現実を歌う。後日、取材に同行してもらったピアニスト「はんだすなお」と、こうした伝える音楽と、また究極について話し込んだ。
「音楽も引き算の芸術だと彼は言う、音を追求していくと音が無くなって行く話題になり、ジョン・ケージ 作「4分33秒」と言う曲の話になった。
その曲は演奏が無音でなされるのだ。1952年に制作された全く演奏しない曲で、第一楽章、第二楽章、第三楽章の楽譜には休止だけが書かれている。このコンセプトは、「生きている人間に完全な無音は存在しない」また、「人が耳を澄ました時に聴こえてくる音、その全てが音楽になりうる」と表現している。実際この曲で感動し、涙を流す人もいると言う話だ。
音が果たす役割と、動物の洞察。
動物界に音痴はいない。動物は音によって意思を伝達し、生存競争を勝ちとった種がこの地球で勝ち抜き、命を繋いでいると生態学者から聞いた。命を繋ぐにはコミュニケーションが必須である。そしてその術が「音」なのだ。
人間に音痴がいる理由
本来人間は、本能的に動物的音感を持っていたかもしれない。だが人には音痴が存在する。人は意思伝達に言葉を使うが、生命のポテンシャルを考えるなら、人間も動物と同様な事ができ、自然界で会話ができたのではないかと想像させる。自由に昆虫や動物に話しかける楽守君を観ていると、「私たちは何か大切な物を無くしているのでは」と考えさせられるのだ。
「自閉症ってなんやろ。やっぱり治らへんのかな」 こんな疑問を持ちながら、垣内親子と時間過ごしていた。今回、二次障がいと言う言葉も知った。 それは障がい者への暴力や名誉毀損、具体的に「いじめ」だ。障がい者の心に深く突き刺るいじめがあると聞いた。いじめをする人は、自分本位で他者に感情移入ができない事を証明している。これも「ひとつの障がい者である」。まさに障がい者が障がい者を、大人と言われる年代でも、いじめの世界があるのだ。 インド出身の神経医、ラマチャンドランの論文によると。自閉症は全てが突出した風景で、何か重大な意味のある事が始まる反応として全てを見てしまう。もしそれに恐怖を感じたらなら、パニックを起こしてしまう。自閉症とは針の振れ方の障がいで、世界の終わりが迫ってくるような恐怖を背負う。また、他人を経由して自分を見る事ができない。全くの孤独である。知っておきたい事としては、2つのことが同時にできない。生まれつきの機能障がいで、脳の部位の連絡がうまくいってないと言う事だ。自閉症は病気ではない。
コード(伴奏記号)に注目する
宝くじ号には4和音7th「メジャーセブンス」が効率よく使われている。ピアニスト『はんだすなお』さんの説明を聞くと、それはピアノで言うと伴奏の動きになる。
例えば「ドミソはメジャーコード」「ミソシはマイナーコード」となるが、メジャーセブンスは、複合で2つの両方の音を併せ持っている。
この音は、明るさの中に憂いがあり、透明感を感じる。また澄んだピュアな感覚があり、洗練され、情景や風景に広がりを加える。
この音は、昼と夜の表情を作り、一気に音の世界に引き込む事ができる。そしてオトナの表情と時間を満たし、明るさと暗さの和音が混在した、絶妙なお洒落空間を作るのだ。
メジャー7thと世界
メジャー3音にマイナー1音が共存する絶妙な空気感は4分の1の割合だ。これはイエスとノーが存在する世界の様だ。プラスの事に相反するマイナスの存在。それが一定割合で共存する事で、成熟者としての世界を証明しているのかもしれない。
マイナス音の響きを、身の回りで例える。不要に思ったり不安を感じる事。それは自分が障害に思っているコンプレックス。これをメジャー7thのように積極的に取り入れる事で、自分の生活に広がりを付け、命に深さや高さを理解させる。ただ明るいだけではない豊かさを備え、まるで地球を見下ろすような連想までさせる。このように、少し高い目線から自分を見下ろしたり、また低い目線から人々を見る事ができる。
「自閉症とはなに?」と悩む人や、関心のある人に受け入れられるRAMOの音楽活動。垣内さんは「肝心の子どもと向き合っていない自分、わかったつもりでいた自分がいた。自閉症・障がいという言葉を通じ、息子たちを見ようとしていた。」と過去を正直に話す。
プロミュージシャンを目指していた時、いくら頑張ってもまともな歌ひとつできなかった。でも子どもが生まれ、障害があるとわかり、自分の実体験が重なることで、心に歌が降りて来るようになった。
芸能界では、女やドラッグに溺れている人が名曲をさらっと作る事がある。だが彼が初めて自分の歌と出会えるまでは、時間と苦悩があった。「嬉しさはなく、ただただ痛かった。」と話す。
障がいを持つ多くの親の「悩み」
「積極的に考え行動しなくては子どもたちを守れない」と悟り、障がい者の親として目覚めたが。「親が先に亡くなり、子どもがひとりになってしまう事を悩んでいる。」「子どもを一人にする怖さがどうしてもある。」と正直に言う。
不便は人を育てる。
垣内さん一家の足跡を見ると、便利な街での生活では、家族の能力を最大限に引き出していなかった。彼らが100%の能力を発揮したのは危機一髪の時だった、つまり火事場のクソ力だ。
「限界集落で住む!」そう言って、田舎の家を直感で、しかもその日のうちに決めた垣内さん。それは子どもの福祉のため、「邪念のない直感で判断した」。社会での楽な暮らしや出世を捨て、努力が多く求められる田舎の生活を選んだのだ。この敏速な行動は、自分の迷いと取引していない事を教えている。
共存する事
宝くじ号の歌詞の中で、「キミ達が居ることが あたりまえになれ」と歌う。近年、社会は転換期だと直感で感じる人も多い。垣内さんが限界集落を目指したように、人の繋がりで子育てをする事。地域全体で子どもを育てる事にアンテナを高くする人は多い。
人口減少、格差社会も問題を抱えたまま上向かない。出生率に一定の割合で生まれる障がい者の事実。社会も成長する必要があるようだ。例えばメジャー7thのドレスコードを着させる事だ。
明るいメジャー音。そこにマイナーだと感じる事を社会に積極的に取り入れる。そして知識の平均点を底上げし、地域全体で人を育て守る。積極的な行動がなくては守れない事。無関心は最大の暴力である事を、垣内親子は教えている。
私たちは他者を経由し、
自分を見る事で孤独に立ち向かう。
自分を好きになれない人こそ、
人を好きなる必要がある。
なぜなら、その事によって、
自分を好きになれるからだ。
冒頭のヘビを見る一般論の言葉に、垣内さんは激しく同意した。「まさに事実です。悲しいけどその通りです」と頷く。この事実を知ってもらいたい。私たちに出来る事は、一人でも多く人が障がい者への理解の目を覚ます事。そのスモークを剥がす事だ。これが障がいを持つ家族の悩みを解消する助けになるのだ。
垣内さんは「音楽によって救われた」と話すが、
世界は音楽で救われる。
Special Thanks
RAMO / 楽器のお店ラモシオン
取材協力 / はんだすなお
PV撮影協力 / 伊勢シーパラダイス
ACOUSTCAL7th / 2019.09.07
おまけの動画
yoshitugu imura。Otona記者。サーファーからフォトグラファーに、海に持っていったギターでミュージシャン活動もする(波音&Ustreet )ドブロギター奏者。 伊勢市在住。この記者が登場する映像