ホーム 01【食べに行く】 カプセルホテルで十分? いや、たまには旅館に泊まりたい。寿し友旅館四代目・浦和壮太郎さんのおもてなし哲学。

カプセルホテルで十分? いや、たまには旅館に泊まりたい。寿し友旅館四代目・浦和壮太郎さんのおもてなし哲学。

 

ネットやWEBメディアが普及して、いろいろな媒体から簡単に情報を得ることができるようになりました。とくにSNSのおかげで、個人のちょっとした日常すらスマホで垣間見ることができます。

そんな時代では、旅のカタチも変化しています。旅先の地名をInstagramのタグで検索して、気になる”インスタ映え”スポットで記念撮影。そんな旅もいいですよね。

スマホひとつで旅に出かける世代には、ゲストハウスやカプセルホテルといった素泊まりが基本のお宿が人気です。だって、リーズナブルな値段で”気軽に”泊まれてしまいますから。

私自身も素泊まりの宿ばかり選んで使っていたため、今回取材先に行くまではやたらと緊張しました。”旅館”に泊まりに行くにしては、なんだか”準備不足”な気がしてしまうのでした。

今回取材させていただいたのは、家業を継いで44年間、四代目として”寿し友旅館”の看板を守り続けている浦和壮太郎さんです。奥さんのあや子さんと息子の寿典さんにもおもてなしをいただいて、私はすっかり旅館が好きになりました。

 

地元漁師が寿し友へ飲みに集い、曲を聴いた。

寿し友旅館があるのは、三重県南伊勢町古和浦の漁村です。港には漁船が並び、朝には釣りを楽しみに訪れた家族の団らん風景に出会うことができます。

毎年七月に行われる祇園祭が古和浦の名物だと、壮太郎さんは言います。

あの祭りは怖いぞ〜。なんたって祇園の船を担ぐのは大変さ。どことも自分とこの祭りが一番やと思ってるに。おれらも、自分とこが一番やなと思う。

去年見学した古和の祇園祭。

下で担ぐ男たちの背中は、祭りの後赤い跡が残るといいます。背の高かった壮太郎さんはまともに担ぐと負荷が大きいため、横から船を押していたそうです(笑)。漁師町ならではの荒々しさこそ、古和浦の魅力かもしれません。

寿し友の年表を見ながら、古和浦の昔話に花が咲きました。今でこそ地元の人が来ることはほとんどありませんが、昔の寿し友旅館の食堂は漁師たちが集まる場所でした。

よう飲む人もおったし、よう喧嘩もしとりおったわ。覚えとる。小さいながらにな。

古和浦はよそへ出かけるにしても、峠を越えなければいけませんでした。夜に飲みに行くところといえば、寿し友。地元の人が息抜きに一杯飲みに来る場所でした。

みなさんは”ジュークボックス”ってご存知ですか? 中に何十枚もレコードが入っていて、百円硬貨を入れると起動して、好きな曲を選べるそう。カラオケのない時代では、ジュークボックスから流れる音楽を聴きながら一杯飲んでいたそうです。残念ながら現在は、押入れの中。

 

ハイカラな親父が名付けた食堂の名前。

寿し友旅館の食堂の名前は、フロリダと言います。古和浦のイメージとはかけ離れた名前に興味が湧いたので、その由来を聞きました。すると、名付け親はお父さんだそう。

俺の親父がハイカラやったもんでな。

ハイカラというのは流行好きという意味で、今の言葉でいうならばミーハー。たしかに旅館のなかは何気なくオシャレで、気を引くインテリアがたくさん飾られています。

ハイカラの血を引く壮太郎さんの趣味は、全国にある焼き物の産地の杯コレクション。こればっかりは奥様さえ勝手に触らせてもらえません。オシャレな寿し友の館内は、浦和家の遺伝子レベルで受け継がれています。

 

料理は”一から”身につけること。

壮太郎さんは寿し友旅館で働くまで、料理の腕を身につけるために大阪や三重県の鳥羽で五年ほど修行を積みました。伊勢の高校を卒業した時点で、家業を継ぐことは決まっていたそう。

長男が家を継がないかんものなりというのがあったんやろな。それが当たり前の時代やって。自然と家を継ぐ流れになっとったね。

男三人兄弟の長男坊として、家を継ぐのは当然でした。料理に関しての自分の好き嫌いや向き不向きは考えたことがなかったといいます。自分の運命を受け入れて生きる人生に、昭和の一コマを感じます。

高校を卒業してすぐは、洗い物ばかり。それでも、人が足りない日は揚げ物や刺身を引くチャンスが訪れます。そういう合間で仕事を覚えていったといいます。

見て覚えなならん。なにしとんのやろなって、どんな味しとんのかなって味見してみたり。そういうことをしとると早く覚えるやろ。洗い物だけしとるようでは、上達はしやへんね。

洗い物から順番を踏んで、たまにフライングしながら腕を鍛えた壮太郎さん。料理を覚える上では”一から勉強すること”が大切だと教えてくれました。

今の魚屋なんかは、魚をもう刺身にできる状態で持ってきてくれるわけやん。下処理は済ませてあって、さあ使ってくださいという状態でな。そういうのは全然料理をおぼられへんわけや。

寿し友旅館は、地元の漁師が一匹で持ってきてくれた魚を料理することもあります。水洗いから下ろして刺身にする。そして頭はあら炊きで食べる。そういったことを”知っている”こと。息子に教える上でも大切にしているそうです。

 

フロリダで古和浦を味わう。

夕食の用意ができたということで、フロリダへ。

旅館に泊まる楽しみは、おかずの多い食事にあるかもしれません。白米なしで十分お腹が膨れます。たまたま同席した老夫婦のお客にワインをいただき、寿し友の”味”を嗜みました。

漁師町ならではのメニュー。地元でとれた魚介類が主役です。

壮太郎さんは旅館を継いだ時、お店の方針はそのまま受け継ぎました。しかし、料理の”味”に関しては、自分の色を出していったそうです。

ある程度は誇りはもっとったでな。自分もよそで料理を覚えてきたもんで。下手なことはできんなって思っとった。

寿し友の一押しは、その名の通り太巻き寿司。壮太郎さん自身、おばあちゃんが卵を焼いていた光景が頭にあるといいます。自分の代になってからも太巻きは寿し友の看板で、試行錯誤して今の味にたどり着きました。

甘いって言う人もおるし、こういう寿司食べたいっていう人もおるし。人の口はいろいろやもんで、みんなに美味しいとは言うてもらわんでもええ。これはこれで好きな人が結構多いもんで。いまし息子もこの味で覚えとるんやけどな。

たしかに寿し友の太巻きは特徴的で、他とは”一味違う”お寿司を楽しむことができます。地元の人は味をわかって買ってくれますが、よそで売るときは必ず味見を用意します。

寿し友の太巻きっちゅうて、だいたい覚えてくれとるでさ。イベントで出店すると、知らん人でも求めて買いに来てくれるでさ。

料理の味ばっかりは、言葉で説明することができません。

 

寿し友旅館のおもてなし。寿し友とは?

常連さんからいただいた色紙に、寿し友の由来が描かれています。

『友との絆。温かい心。出会いに寿(ことほ)ぎ、かんしゃかんしゃ』。寿ぐというのは、お祝いの言葉を述べるという意味があります。

『はじめの志を忘れなければ、寿志友は幸せの友を呼ぶ』。

お客さんが感じた寿し友の魅力が、これらの言葉のなかに詰まっています。私自身、食事の団らんのなかで壮太郎さんと奥さん、息子の寿典さんの温かさに触れました。

旅館って、いいものですね。取材を通して日本人の心に根ざした”おもてなし”と、ご飯を”味わう”ということの本当の意味を思い出すことができました。ご飯はみんなで食べるから、美味しいんです。

 

また訪れたい旅館に出会えました。

朝、奥さんから部屋に電話がかかってきました。朝食の用意ができているとのこと。昨晩あんなに食べたのに、次のご飯が楽しみで仕方ありません。

“伊勢海老”のダシが効いた”アオサ”の味噌汁。知る人ぞ知る味噌汁界のスーパーコンビ。

昨日はすまなかったねと、ワインをくれたお爺様が謝りにきました。昨晩のことはあまり覚えていないようです。お酒の席は無礼講と、昔から決まっています。

 

帰り際にカウンター越しで写真を撮ろうとしたら、背が高くて入らなかった壮太郎さん(笑)。かがんでもらって、パシャリ。笑顔もしっかりいただきました。

化粧をしていないからと断固として写真を嫌がる奥さんの腕を掴み、センターポジションへ。家族写真も撮らせていただきました。また訪れたいと思える場所には、必ず人の笑顔があります。次の旅先に、古和浦の寿し友旅館はいかがですか?

寿し友旅館
電話番号: 0596-78-0311
住所:〒516-1534 三重県度会郡南伊勢町古和浦147-17
HP:http://www.isesima.jp/sushitomo/

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