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歴史はここから~津観音~

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私は三重県津市に来て三年目、はじめて津観音を訪れました。

津観音(恵日山観音寺)は、日本三観音の一つで、本尊は聖観世音菩薩。国府阿弥陀如来は天照大神のご本地仏とされています。多数の指定文化財を含めて600点の宝物を有する真言宗の名刹です。

住職に歴史と建物を解説していただきながらの散策。

静かな境内で、穏やかな時間が流れます。

しかし、その穏やかさと裏腹、

話してくださった津観音の歴史は波乱に満ちていました。

和銅二年(709)、阿漕の浦で漁師が流れ着いた観世音菩薩像を引き上げたことに始まったこの観音寺は、浦から上がった魚などを伊勢神宮の御贄として調理する場所ということで、御厨観音とも呼ばれたそう。

室町将軍足利義教の庇護を受け、津の人々の中心としてにぎわっていましたが、

明応七年(1498)に津を襲った大地震と津波によって海水に沈んでしまいました。

そのため、元は阿漕浦にあった観音寺は、民家とともに現在の大門町に移転されたそうです。

しかしまた慶長五年(1600)、関ケ原の前哨戦において西軍による津城攻めで建物が焼失してしまいました。

ですが後に津城城主となった藤堂高虎の尽力で、観音寺は再建。
人々の心の拠り所として復活しました。

江戸時代には、

『東海道中膝栗毛』や『伊勢参宮名所図会』などにも取り上げられ大門町は大いに栄えます。

伊勢参詣のルートとして観音寺を訪れる人は

日本全国五人に一人の割合だったそう!

今でいうところのディズニーランドと同じくらい大人気スポット…すごい。

「阿弥陀に参らねば片参宮」と言われるほど。

明治維新を乗り越え、昭和に至っても、

津の観音は人々に寄り添ってきました。

ですがまたしても観音寺を苦難が襲います。

太平洋戦争…

昭和20年(1945)七月二十八日の夜、

米軍の空襲によって観音寺はほぼ全焼してしまったのです。

高虎が再建してからちょうど333年目の事でした。

大変な時こそ、人々の心が安らぐ場所が必要なのです。

当時の住職さん、町の人々の力で復興が目指されました。

昭和四十三年には津の人々が待ち望んだ観音堂が再建。

そこから復興が始まり、平成十三年には五重塔ができるなど現在に至るまで、
新しく再建されています。

災害に負けず、新たな姿で何度も蘇る津観音は、人々の心の拠り所なのだと感じました。

 

今も。

住職がこだわった五重塔、竜頭など

色んな思いが込められていました。

観音寺の歴史は

歴代の住職、町の人々によって作られてきた強い思い歴史なのだと思います。

そして、未来も。

「何十年後にどう見られたいのかを考える」

心に残った住職の言葉です。

流行っているから、当たり前だから、で決定してはいけないのだと住職は話します。

何十年たって振り返った時にその選択が歴史になって残っているように…

私たちが未来の歴史になっていくんですよね。

私は学生で、将来の不安とか、何をして生きていきたいんだろうとか、漠然とした悩みがどこかにあって、

いつも踏み出せない自分がいました。

でも、

やってみたいこと、もっと頑張ってみよう。

帰るころにはそんな気持ちが芽生えていました。

お話が聞けて良かったなあ。

自分と向き合える空間。

ぜひ、足をは運んでみてはいかがでしょうか。

津観音
三重県津市大門32番19号

取材日:2018/09/16

タイラ

大学生ライター

沖縄から三重へ

サバゲ―、空手、が趣味。専門は江戸文学だけどロックも好き。食べることも好き。

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