ホーム 02【遊びに行く】 松浦武四郎はクリエイターでありアーティストだと思う。

松浦武四郎はクリエイターでありアーティストだと思う。

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あなたは、家出をしたことがありますか?

伊勢国(現在の松阪市)に生まれ、家出をして江戸に行くが、見つかって連れ戻された16歳の少年。

▲武四郎、九州遊歴の紀行文より。

その翌年から全国を旅して、21歳からの5年間は長崎で僧侶として過ごす。

▲武四郎28歳、初の蝦夷地踏査記録。

その後一旦伊勢国に戻るも、当時の蝦夷地へロシアが勢力を拡大するとの情報が入り、自国の危機を感じて自ら蝦夷地に入り、アイヌの人々に案内してもらいながら未開の蝦夷地の調査をする。

▲登山の紀行文より、大台ヶ原の風景。

68歳になり、大台ヶ原を自らの終焉の聖地と位置づけ、三度登った。
そう、この人こそ北海道の名付け親、松浦武四郎だ。
そんな武四郎は16歳で家出をする前に「江戸・京・大坂・長崎・中国・インドへ行ってみようか」という意味の書簡も残している。

時は江戸時代。超人的な想像力と行動力を持つ少年だ。

▲松浦武四郎

そんな武四郎だが、明治2年から明治11年まではほとんど旅に出ていない。
明治9年から病気がちになり「命を落としかけたのは旅に出ず、安晩に過ごしたことが原因だ」という意味の書簡を残した武四郎。60歳を超えて旅を再開した。
旅なしでは生きていけない、旅人。
家出少年は後に、旅の巨人といわれるようになる。
そして、絵にも才覚のある武四郎の旅の記録が、とても印象的だった。

 

蝦夷地の暮らし、文化を伝える

▲入ってすぐのところに展示されている、美しいアイヌの樹皮衣。

今回はMieMuで開催されている、松浦武四郎展。
武四郎は、地元である三重県より北海道の方が認知度が高いと聞いたことがある。
確かに、三重に暮らす私も、武四郎についてはあまり知らない。
もちろん北海道の名付け親というのは知っていた。

しかし歴史に興味があるわけでもなく、絵や文が好きな私にとって、武四郎の旅の記録から伝わるものがあった。

▲エゾイタチ、シマリス、エゾモモンガ。

ちなみに「ラッコ」は、アイヌ語が起源なのだとか。

▲魚(ハッカク)の挿絵

北海道でよく捕れるハッカク。
独特のフォルムが生き生きと描かれている。

旅の途中、懐に携帯していた「野帳」と呼ばれる小さな帳にも、さまざまなものが記録されていて、それぞれの挿絵の趣きが深い。

蝦夷地の魚介などの図鑑。
蝦夷地と伊勢国で捕れる魚介の違いなど、特徴を捉えている挿絵を観ると、その驚きや感動が伝わってきそうだ。

▲サハリン(樺太)の先住民族「ニクブン(ニブウ)」の揺りかごと「縄をなふ図」。

 

伝えるチカラ

しかしなぜ、武四郎の記録に惹かれるのだろう。
展示を観ていて、そんなことを考えていた。

▲アイヌの人とサハリン(樺太)での野宿の風景。

あり得ないが、例えば自分が海外の少数民族を訪ね、寝食を共にしたりして親切にされたとする。
そして、その民族の自然に対する考え方など、アイデンティティが素晴らしかったとする。
しかし、その土地を奪うことで、その民族のアイデンティティをも奪う者がいたとする。

▲天塩地方沿岸部でのコンブ漁の挿絵。

必要な分だけ、漁や狩猟をして暮らしていたアイヌの人々。
そこにやってきて、網で根こそぎ鮭を捕った和人(本州)の商人。

▲幕府が勧めた農耕に取り組む、アイヌの男性。

そう、武四郎はアイヌの土地を侵略した、松前藩や和人の商人を批判している。

▲武四郎は名だたる歴史上の人物とも、関係がある。

そして明治期に入り、大久保利通の推薦もあり政府の開拓判官となった武四郎は、蝦夷地の新しい名称として「北加伊道」と提案し、その後「北海道」と名付けられた。
意味はアイヌの人々が暮らす土地。

▲北海道だけでなく、道内の郡の名付け親でもあり、そこにはアイヌに関係する地名が多く付けられている。

そうした武四郎のアイヌの人々やアイデンティティへの一貫した想いが記録に込められていて、さらには土地の名前にも込められている。

だから、武四郎の記録はいいなと思う。
今年、松浦武四郎生誕200年を迎えた。

▲幕府の統治にアイヌの人は疲弊するも、親孝行に努める夫婦などの生活を武四郎は描いた。

想いを伝えたいという熱量は、時間を超えて伝わった気がした。
現に北海道と関わりの薄い私だが、アイヌの自然に対する考え方に興味を持った。
アイヌ民族は、火や水など人の生活に欠かせないものや、自然などの人間の力の及ばないものを、神として信仰していたという。
それは、日本に根付いた自然崇拝にも共通する部分があるが、アイヌもいるし、琉球文化もある。
さらにいえば、日本全国の地域によって文化や歴史が異なる。
でもそれぞれの違いは、尊重されるべきことで、それぞれの魅力なのだと。

北海道の名付け親として知られている武四郎だが、実は全国各地を巡っていて、晩年は特に関西から九州を巡っていたそうだ。
仏像や土器などの古物の蒐集家でもあった武四郎。
そのような視点で地域の魅力を楽しみ、そしてそれを編集し出版もしていたという。

▲武四郎涅槃図

蒐集品であった古画の登場人物や古神仏像などを、武四郎涅槃図として当時の鬼才絵師に書かせたり、天神信仰や山岳信仰といった思想を持った武四郎が、最晩年に大台ヶ原を踏査しその成果を出版していたりと、アイヌと共に生きた男は、改めて日本人として大切にすべきことを、生涯掛けて伝えた伝道師のような気がしてならない。

歴史にあまり興味がない私でも、武四郎の記録から大切なことが伝わってきたのだった。

 


 

 

三重県総合博物館 MieMu(ミエム)

MieMuとOTONAMIEのコラボ、OtonaMieMu(オトナミエム)。

住所:三重県津市一身田上津部田3060
TEL:059-228-2283
ホームページ:http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/
Facebook:https://www.facebook.com/mie.pref.museum
Twitter:https://twitter.com/mie_pref_museum

※第21回企画展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」2018年9月15日(土)~2018年11月11日(日)まで開催。関連イベントもあります。詳しくはMieMuホームページで。

 

yusuke.murayama

村山祐介。OTONAMIE代表。OTONA MASTER。
ソンサンと呼ばれていますが、実は外国人ではありません。仕事はグラフィックデザインやライター。趣味は散歩と自転車。昔South★Hillという全く売れないバンドをしていた。この記者が登場する記事

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