大工の神様・聖徳太子
聖徳太子、またの名を厩戸王(厩戸皇子)。
言わずと知れた、飛鳥時代に遣隋使や冠位十二階、十七条憲法などを定め、天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図ったとされる人物。
また、仏教を取り入れ厚く信仰したとされています。
そんな聖徳太子は、大工の神様と崇められているのはご存知でしょうか?
巨大な木造建築である法隆寺や四天王寺などを建立したことや、大工道具の曲尺(かねじゃく)を発明したという伝承が残っています。
そういうことから、室町時代の終わり頃から聖徳太子の祥月命日とされる2月22日を「太子講」の日と定め、大工や木工職人の間で「太子講」が全国的に行われ、聖徳太子をお祀りする「太子堂」も全国各地に建立されました。
桑名市にも太子堂が!!
ここは三岐鉄道北勢線の馬道駅。
駅の北側には走井山公園という公園があり、
春には桜の名所として知られていたり、
妖刀村正を生んだ村正一派がこの辺りに住んでいたとされています。
公園内の走井山勧学寺の境内にあるのが
桑名の太子堂です。
毎年、2月22日の命日と8月10日ごろの勧学寺の十日観音の法要では、特別に太子堂が開けられます。
数奇な運命を辿る聖徳太子像
桑名の地では江戸時代の明和年間(1764〜1772年)に、桑名惣大工中によって太子堂は建立されました。
昭和初期以降の太子講は、旧桑名町で結成された「桑名建築組合」によって運営されてきました。
そんな中・・・
聖徳太子像が盗難!
昭和47年、太子堂内に祀られていた太子さんが、台座を残して盗難にあいました。
桑名建築組合の方は必死で探し、東京の古物商で売られているのを発見しました。
ですが、本当に桑名の太子さんなのでしょうか・・・
残されていた台座を東京に運んできて、足を乗せてみると
ピタッと足の形が合う!
これは桑名の太子さんだ、でも古物商の手に渡っている。。。
盗まれたものではありますが、古物商から取り戻すためには買い戻すしか方法がなく、先代の会長が買い戻してようやく桑名の地に帰ってきました。
戻ってきた太子さんですが、平成2年にさらなる不運が・・・
不審火で太子堂が全焼!!
この火災で太子堂や古い貴重な資料を無くなりました。
しかしながら、太子さんは奇跡的に焼失を免れました。
桑名建築組合は組合内や地域に寄付を呼びかけて
聖徳殿(太子堂)は再建されました。
今年の十日観音のご開帳は8月9日(木)9時半〜21時ごろ、10日(金)14〜21時ごろの2日間。
火災では煤にまみれていた太子さんに色を塗り直して、今ではこんな綺麗なお姿をしています。
この2日間はどなたでもご自由にご覧いただく事ができ、その際は桑名建築組合さんに太子さんの歴史などをお伺いもできます。
毎正時(00分)に鐘を撞くので、その前に伺うのがオススメ。
桑名建築組合としての他の活動をご紹介
平成27年、20年に一度神宮の式年遷宮によってご下賜される、七里の渡跡の「伊勢国一の鳥居」の建替行事が行われました。
伊勢神宮の奉曳車(ほうえいしゃ)を使った盛大なお木曳行事でしたね。
それを支えたのが、桑名建築組合です。
奉曳車を借りる事になりましたが、そこにどう鳥居を乗せて綱の締めるのかを知っている人は、桑名にはいませんでした。
ですが、建築のプロが集まる桑名建築組合。
仕事で使う締め方を応用して、最初はミニチュア模型で練習。
それも慣れてきたので、本物の大きさで練習しないと・・・と、原寸大の模型を作ってしまい、それで荷締めの練習を毎週繰り返し
準備万端に整えたおかげで
前日の鳥居の柱を締める際にスムーズに行き、
職人の技が結集したおかげで綺麗な姿に装飾されました。
他にも、お木曳のご縁から毎年秋に外宮に今年取れたお米(お初穂)をお納めする「初穂曳」での荷締めや、当日は伊勢市民と同じ組で初穂曳に参加するなど、毎年伊勢の方との交流を深めています。
また、東員町で発見されたおそらく現存最古の石取の祭車(山車)を譲り受ける際の運搬にも携わられました。
今では大工さんだけでなく、電気工事業や板金工事業、設計士、屋根工事業など、建築に関わる幅広い業種が所属する桑名建築組合。
職人の本物の技に見たり聞いたり触れたりするのにも、十日観音はいい機会かもしれませんね。
桑名にある聖徳太子像。
見られるのは一年で3日しかない、貴重な時はもうすぐやってきます。
桑名生まれ桑名育ち。大学で県外に出て改めて地元の良さを知りました。桑名の良いところを発信します!
得意ジャンル
観光・イベント・歴史・文化・グルメ