三重県(南伊勢町)の偉人「河村瑞賢」ってどんな人?
でピンとくる人はなかなかの歴史好きなのではないでしょうか。
南伊勢町東宮には河村瑞賢像があります。
南伊勢町生まれの僕ですが、子供の頃にカブト虫が捕れるスポットとしか認識していませんでした。
そんな凛々しいお姿の河村瑞賢像をじっくりと見学して、郷土の歴史を少し学んでいきます。
石碑に刻まれた豪商 河村瑞賢の偉業
そびえ立つ河村瑞賢像の足元付近にある石碑に目を向けてみましょう。
石碑には・・・こう記されていました。
河村瑞賢(一六一八~一六九九)
元和四年、東宮に生まれ、十三才の時江戸に出る。
数々の苦労を重ねるが、江戸明暦の大火に際し、木曽の木材で巨利を得、次第に幕府御用商人の巨頭となっていった。
江戸の復興にあたり、土木家としての手腕を認められ、その後、幕府の要請をうけて、東廻り、西廻り航路の開発や大阪、酒田をはじめ各地の治水工事にも多大な功績を残した。
この間、郷里に石鳥居、大般若などを寄進している。
元禄十二年、江戸に没す。
行年八十二才。
この像は、治水工事の指揮監督をしている姿を表現したものである。
ここに命名する現場監督の聖地「河村瑞賢像」
河村瑞賢像の姿は、現代の建築現場や土木現場の監督さんだったんですね。
土木業、海運業、治水業と多岐に渡り活躍されて、今の日本を築き上げた一人者だったことが、現場監督の姿で表現されたのでしょう。
そのことを知った上で、像を改めて見上げると、当時の治水工事の指揮をとっている河村瑞賢現場監督と汗を流しながら働く作業者の姿が頭に浮かんできます。
今日から僕の中で「河村瑞賢像」は、
カブト虫が捕れる場所ではなくて
現場監督の聖地へと変貌を遂げました。
現場監督さんを見かけたときは、「豪商 河村瑞賢」をきっと思い出すことでしょう。
近くの三重県屈指の漁港でUMAを見つける
「河村瑞賢像」から車で5分程度で、三重県でも大きな漁港である奈屋浦漁港にたどり着きます。
もしかしたら、奈屋浦漁港がこんなに大きいのは「豪商 河村瑞賢」が関係している・・・・と想像をめぐらせ僕は思考の渦にはまっていきました。
海を眺めていると、
突如と現れた未確認生物に思考の渦がチリと化しました。
「なんだ・・・あれは!?」
正体は宇宙船みたいなクラゲ。
動きもゆっくりで、何でこんなに茶色いのかは不明です。
漁港には釣り人もいて、UMAのようなクラゲ以外にもキラキラと魚がたくさん泳いでいました。
釣り人に現場監督がいたら・・・河村瑞賢像へ
奈屋浦漁港に向かう曲がり角には大きなコンビニがあります。
元々は地元スーパーだったんですね。
なので建物自体は巨大です。
なんと・・・釣り餌も販売しています。
南伊勢町は、以前に比べると道路も整備されてアクセスがしやすくなってます。
能見坂峠でバスと遭遇する恐怖!それが、今はありません。
河村瑞賢像周辺は春頃には河津桜が咲き乱れてとても綺麗です。
- 春の陽気に誘われてドライブするのも良し
- 奈屋浦漁港周辺などに釣りに出かけても良し
- 河村瑞賢像で現場監督さんは同じポーズを決めてSNSに投稿するのも良し
特に釣り人の現場監督さん、ぜひ河村瑞賢像に立ち寄ってください。
河村瑞賢公園
住所:三重県度会郡南伊勢町東宮2401-1
【更新:2019.5.14】
濱地雄一朗。南伊勢生まれの伊勢育ち。三重県といっても東西南北、文化や自然・食と魅力で溢れていることに気づき、仕事もプライベートも探求する日々を過ごす。探求を続けると生まれた疑問、それが「何で◯◯が知られていないんだ」ということ。それなら、自分でも伝えていくことだと記者活動を開始。専門は物産と観光、アクティビティ体験系も好物。自身で三重県お土産観光ナビも運営中。