三重県紀北町ー
三重県の南部、10年以上前に、海山(みやま)町と紀伊長島(きいながしま)町が合併した人口1万7千人の町。
その紀北町に『道瀬』(どうぜ)という土地がある。
世帯数は数十世帯、人口は100人いるかどうか…という、平地の少ないリアス式海岸状の地形のこの地域に多くある、小さな地区のひとつだ。
正直、筆者は数年前まで紀北町に『道瀬』という地区があることを知らなかった。
「知らなかった」というか…紀北町には数えきれないくらい行っているし、どんな地形でどんな風景なのかもつぶさに見ているのだけど…紀北町のどのあたりが『道瀬』なのかを具体的に認識していなかった。
今まで『道瀬』という場所に車で走って行って、そしてそこで車を止めて降りるほどの『用事』や『目的』もなく、その土地の名前を知る必要性や必然性がなかったのだから当然と言えば当然である。
数年前、この『道瀬』という場所に、土地の名前を冠した食堂がオープンした。 その名も『道瀬食堂』(どうぜしょくどう)。
オープンさせたのは、東京からの移住者、一色登希彦(いしき ときひこ)氏。 東京で漫画家として活動していた彼は、2011年の東日本大震災と原発事故を機に、災害時の東京の都市機能や危機管理の脆弱さ、原子力発電所のあり方などに疑問を持ち、東京を離れ、かねてから縁のあったこの土地に一時的に避難し、そしてやがてそこに移り住むことになる。(ちなみに一色氏の漫画の代表作のひとつに『日本沈没』(小松左京原作)がある。『日本沈没』では、大都市での災害とその後に訪れる人災について丁寧に描かれている。いかに大都市での人口過密の状態が、災害時にお いて危険かを熟知していた人でもある。)
移住先の『道瀬』で一色氏は、漫画家としての活動ではなく、飲食店という新たな仕事を始めることになる。当初、飲食店を始めるにあたり、土地の名前を冠した店名にしようと心に決めていた一色氏。
しかし周囲の地元の人から『ダサい(笑)』と言われたのだそう。 だが、土地の名前を冠した飲食店がオープンしたことによって、『道瀬』という場所に『行く目的』ができ、多くの人がこの名前をはっきりと覚えるようになったはずだ。 地元の人から『ダサい』と言われた土地の名前を冠した店の名は、そこを訪れる人に『どのあたりが道瀬なのか』ということをはっきりと認識させる役割を見事に果たした。
かく言う筆者も、今では当然のように『道瀬』という土地名を使っている。「知ってるでしょ?あの『道瀬食堂』があるあたり」、といったふうに。
それもこれも『道瀬』という場所に『行く目的』ができたからだ。
『道瀬食堂』は、民宿の一画を間借りして営業しており、夜の営業はなく、お昼から夕方にかけてのみ営業している。
『道瀬食堂』では、日替わりのランチやパスタ、石釜ピザなどが食べられる。夏には限定でかき氷もメニューにのぼる。
民宿の庭先であった場所に新たに設けられた、ウッドデッキの広々としたオープンテラス席では、家族連れで来たお客さんがそれぞれに自由にくつろぎながら食事する光景が見られる。
(ウッドデッキやピザ釜、いくつかあるテーブルなどは、道瀬のプロの大工さんに手伝ってもらいつつ、DIYが得意な民宿のご主人と、一色氏が自分の手で作っていったそう。)
この地域周辺は、飲食店の絶対数が少ないこともそうだが、「くつろいでおしゃべりする」という要望に応えられる店はさらに限られ、多くの飲食店は、「食べ終わったら帰る」作りの店が多い。「くつろいでおしゃべりする」となると、地元の常連客が来慣れた昔ながらの“喫茶店”か、夜にお酒を飲みながら談笑する“居酒屋”になってくる。
都市部には多く存在する“カフェ”としての役割を担う店は少なく、いくつかあるファーストフードやチェーンの喫茶店に、その役割を任せてしまっている。
その点において、道瀬食堂は「自由にくつろいでおしゃべりする」というお店になっている。先述のウッドデッキには、テーブルだけでなく座布団で座れる座卓の席もあり、小さな子どもや乳児を連れたお客さんにとっては貴重なお店になっていることが、実際に行ってみるとよくわかる。
オープンからの評判とお客さんの入りは上々で、地元の口コミに加えて、FacebookやラインといったSNSでの「新しい口コミ」が掛け算のような効果を発揮したようで、今では三重県内、和歌山県、奈良県といったエリアから、「休みの日にクルマで出かける目的地」とされていることが、来店するお客さんの様子から見て取れるそうだ。
一色氏は、既存媒体には広告を打たず、また、しばしば打診のある、雑誌やテレビ等からの取材依頼を無条件には受け入れることなく、「店として、信頼できる、扱ってほしい」と思える媒体に絞って、取材を受けてきたという。
「”この雑誌を読んでいるようなお客さんに来てほしい”と思える媒体に取り上げてもらえるような店にしておく。きちんとそうしておけば、やがてその媒体さんが取材に来て、取り上げてくれる。その媒体で『道瀬食堂』を目にしたお客さんが来店してくれる。お客さんはSNSで勝手に“好みの合う”友人に広めてくれる。そうすることで、店は、自然と、”お客さんを選ぶ”ことができます。店とお客さんの、広範囲な”相思相愛”が実現します。」
と、一色氏。
「ウチのお客さんを、”来てほしいお客さん”率で言うなら、いつでも”ほぼ100%”だと思います。”2度と来てほしくないお客さん”がいらっしゃった記憶はないです。」
そして、『道瀬食堂』オープンから数年後の2016年4月、『道瀬食堂』から歩いてすぐの場所に、今度は夜に食事がとれる『道瀬バル』がオープンした。お昼の『道瀬食堂』と夜の『道瀬バル』。
短い期間に『道瀬』に土地の名前を冠したお店が2つもできた。
正直、夜の『道瀬』は暗い。街灯がほとんど無く、そして夜にやっているお店もないからだ。
(夜の国道で一番明るいのが自動販売機の明かりなのだ、本当に)
過疎化が進む土地では、店の灯りがひとつ、またひとつと減ってきている。
そんな中、『道瀬』の夜に灯った『道瀬バル』という新しい灯り。
ちゃんと人の温かみのある、人を出迎えてくれるホッとするような灯り。
…ちょっと大げさかもしれないけれど、それは本当に『道瀬』という場所に起こった小さな奇跡のような、夢のことのように思えた。
そして『道瀬』の夜にまた『夢のような出来事』が起こった…
というのが、今回の記事の本題なのだが、その前にもう少し、『道瀬食堂』に続いて『道瀬バル』を作った、オーナーの一色登希彦氏についてもう少し詳しく紹介したい。
『道瀬食堂』は旅館(民宿あづま)の一画を、『道瀬バル』は酒店・商店(東商店)の一画を間借りして存在しており、その2つのお店をオーナーである一色氏が往来している。
昼は食堂の店主、夜はバルの店主、なのである。
『道瀬食堂』が地元で受け入れられ、順調に売り上げを伸ばしていく中、当然、利用客からは「夜も食事が出来るお店を…」という需要と期待が高まり、一色氏の中にもその想いが芽生え始める。
「ありがたいことに、思っていた以上に、食堂が地元の人に受け入れられた」
と語る一方で、
「しかし自分の料理の腕は、地元の人の需要や期待に本当に応えられているのだろうか」
飲食店の経営の経験もなく、右も左もわからぬまま食堂を開店。息をつく暇もなく食堂を回し続けてきた。
しかし全て独学で料理をしてきた一色氏は、以前から抱えていた『地元の人の期待値に対して、それに応えられているかどうかわからない自分自身の料理人としての腕前』のジレンマを埋めたいと考えていた。
次のステップに進むには、主観と独学での経営を離れ、他者のプロの元での本格的な修行経験を経ることが必要不可欠という判断に至り、数ヶ月間の修行期間に入ることとなる。
門を叩いた修業先は、一色氏と交流のあった、県内の四日市市にあるお店『ターヴォラカルダオオノ』。
本格イタリアンのお店である。
新しいお店の開店準備と『ターヴォラカルダオオノ』での料理の修行…
そんなめまぐるしく毎日が過ぎていった半年以上の日々の後、『道瀬』に晩ご飯が食べられる飲食店『道瀬バル』がついにオープンする。
『道瀬バル』は、入居している酒店・商店(『東商店』)が、かつてお好み焼き屋さんもやっていたということもあり、東商店の店主である東さんが焼く、お好み焼きのメニューも取り入れられている。
一色氏が作るのは、勉強先で身につけた、イタリアンをベースとしたメニューで、地元産の魚介類や野菜がふんだんに使われている。
酒店・商店が同じ建物内にある、ということでお酒のメニューも豊富に取り揃えられている。
お酒は酒店のショーケースから、セルフサービスで好きな飲み物を自分で取ってくるシステムで、酒店の値段で飲むことができる。
ところで、『バル』とは食堂とバーが一緒になった飲食店のことである。
しっかりとした食事はもちろんのこと、『ちょっとバルに飲みに行かない?』といった感じでお酒を飲むためだけに利用することもできる。
『ターヴォラカルダオオノ』が家庭的な雰囲気で本格イタリアンを出すお店であることと同様に、『道瀬バル』も大衆的な雰囲気や気軽さもありつつ、美味しいイタリアンやお好み焼きを食べたりお酒が飲めたりするところがとても嬉しい。
スタンド式のバルではないけれど、なんだかそれに近しいフラッと立ち寄れる感じが魅力的だ。
そんな飲食店が『道瀬』にできただけでも、地元の人にとっては夢のようなことなのではないかと思う。
しかし、それに加えて、また『道瀬』に夢のような出来事が起こった…
と、ようやく今回の記事に本題に辿り着くのである…。
去る2016年7月25日の月曜日、この開店間もない『道瀬バル』でコース料理が食べられるという食のイベントが催された。
「コース料理?」
そう、コース料理なのである。
イベントの名は『オオノバル@道瀬バル』
修業先である『ターヴォラカルダオオノ』のオーナーの大野氏をはじめとしたスタッフ、そして伊勢の有名店『ココット山下』の山下シェフが『道瀬バル』に駆けつけ、出張で料理の腕を振るったのだ。
繰り返しになるが、つい最近まで夜に外食をするお店が無かった地域でコース料理、である。
「四日市の『ターヴォラカルダオオノ』と、伊勢の『ココット山下』。 この2つのお店が『道瀬バル』に来てくれてコース料理を作ってくれるんだけど、みなさん、どう?」
一色氏の、『道瀬バル』のFacebookでのほんの小さなささやき声程度の告知。 しかしそれだけの告知で、『道瀬食堂』の頃から知っていた、そして『道瀬バル』の開店を心から望んでいたお客さん、 友人、知人で当日の予約はすぐにいっぱいになってしまった。
ここから、少し、当日の写真をお見せしつつ、その様子をお伝えしてみたい。
前菜、パスタ、メイン、デザート…
お客さんはみな、聞き慣れないメニューの説明を一生懸命に聞き、想像を膨らませ、すでになんだか美味しいものを食べたような嬉しそうな顔つき。慌ただしい厨房の作業ですら興味津々のご様子。
そして料理が運ばれてくる度に歓声があがり、口に運ぶ度に笑顔がこぼれた。
厨房から見た客席の様子はどんな光景だっただろうか?店の外からみた『道瀬バル』の中の様子はどんなふうに見えただろうか?
きっと笑いの絶えない幸せな空間がそこに広がっていたはず。
絶えない笑い声とおいしい料理であっという間に夢のような時間は過ぎていった。
有名店のコース料理という名目もさることながら、普段の一色氏の地道な営業と仕事への情熱が、『道瀬』界隈での人望と期待を集め、この夜に結実したのだと思う。
気がつけば、知らない間柄のお客さん達も、いつしか一緒になって談笑していた。
お客さんもまた、みんなで新しいお店の開店をお祝いしたい気持ちでいっぱいだったのではないだろうか?
そこに集ったみんなが『道瀬食堂』に次いでまた、くつろげるお店ができたことに対するお祝いと感謝をもって乾杯していたと思う。
つい数年前まで知らなかった『道瀬』という場所が、今ではその名前を聞くだけでなんだかお腹が空いてしまうようになったのは、『道瀬食堂』と『道瀬バル』がそこにできたからだ。
道瀬食堂
住所:三重県紀北町道瀬83-2
電話:090-1472-0505
営業時間:11:00〜14:00
定休日:火曜日、水曜日
道瀬バル
住所:三重県紀北町道瀬108-2
電話:090-1472-0505
営業時間:17:00〜20:00(お好み焼きのみ12:00からできます)
定休日:火曜日、水曜日
たかやん。OTONAMIE公式記者。三重県尾鷲市にあるカフェ「Scale」で働く茶坊主。コーヒー、本、映画、人文学、デザイン好き。趣味は園芸とウクレレとカメラ。フリーペーパー製作に関わっていた経験を活かして、尾鷲市のカフェからのんびりレポートいたします。得意ジャンルは人物紹介、お店紹介、イベント、町ネタ。