安心してください!恐い話ではありませんよ(笑)。
ご存知の方も多い、いや三重県に暮らす方なら知っている、あのお方のお話です。
うどん屋の長男として誕生。
開発を支えた愛妻うめが、32歳の若さで亡くなるなど、壮絶な人生を歩んだ。
大往生としても有名。96歳でお亡くなりになるまで独身であった。
売り込みが上手でこんな逸話が残っている。
“14歳で家業の傍ら青物の行商を始める。足芸(仰向けに寝て足の平で蛇の目傘を回す芸)の披露で、イギリスの軍艦・シルバー号へ青果や卵を売り込むのに成功した。” (Wikipediaより)
そう、
「世界中の女性の首を真珠でしめてごらんにいれます。」と明治天皇に公言し、それを現実にした真珠王、御木本幸吉。
この方の色々な逸話、伊勢志摩地方の方なら常識?いや三重県人の常識?私が知らなかっただけ?(勉強不足ですみません。)
御木本真珠島の御木本幸吉記念館にお伺いしました!そこには知らなかった逸話がいっぱい。その一部をご紹介。
半円真珠の養殖を世界で初めて成功させた御木本幸吉。その技術を持ってヨーロッパに売り込む。しかし、ダイヤモンド卸売商や宝石商の雇用組合から「養殖の真珠は偽物」との批判が…。後に偽物騒動は三度の民事裁判にまでもつれ込んだが、「養殖真珠を偽物と呼ぶ理由がない。」と勝訴。
その後、養殖真珠が世界で認められはじめたが、その一方で粗悪な真珠も出回った。そこで、御木本幸吉は記者や外国人を神戸に集め、粗悪な真珠72万個(現在の価値で4千万円相当)燃やしてしまうというなんとも豪快なパフォーマンスを行い大阪や神戸の新聞でも報じられた。外国人の多かった神戸で話題となり「御木本の真珠は全て良いものである。」というアピールとなった。
またニューヨークタイムズにも掲載された、発明王エジソンとの対談も残っている。
“1927年(昭和2年)欧米視察に出ていた幸吉は、ニューヨーク郊外のエジソン邸を訪問、世界の発明王との会談が実現します。エジソンは贈り物として出されたミキモトパールを見つめ感嘆して言いました。「これこそ、真の真珠です。私の研究所で出来なかったものが2つだけあります。一つはダイアモンド、もう一つは真珠です。あなたが動物学上からは不可能とされていた真珠を発明し完成されたことは、世界の驚異です。」”
(創業者御木本幸吉特設サイトより)
様々な心に響くメッセージも残している。その中の一部をご紹介。
「ホラは吹くが、ウソはつかぬ。」
「常識なんでありがたがるな。」
「希望ある人間は、どこか輝かしいものをもっている。」
ROCKなメッセージ!ストレートに心に響きます。異端児精神!くぅ〜!
こんなメッセージも…。
「気分転換、気分転換、気分転換しないと人は死んでしまう。」
こちらはアンビエントなメッセージ。なるほど!
三重県には気分転換できる場所がいっぱいある。忙しい日常で忘れがちな気分転換。大事ですね。
御木本幸吉さんはどこで気分転換をしていたのだろう。きっと三重の美しい海を眺め、海外に想いを馳せていたことだろう…。
ミキモト真珠島
三重県鳥羽市鳥羽1-7-1(鳥羽水族館の近くです)
TEL 0599-25-2028
ホームページ
なおミキモト真珠島ではブライダルティアラ展を開催中です。
真珠や宝石関係の以前の記事はこちら。
綺麗すぎて腰抜けます(笑)。
3/27までです。気分転換にいかがでしょう。
村山祐介。OTONAMIE代表。
ソンサンと呼ばれていますが、実は外国人ではありません。仕事はグラフィックデザインやライター。趣味は散歩と自転車。昔South★Hillという全く売れないバンドをしていた。この記者が登場する記事