ホーム 02【遊びに行く】 真言密教のお寺で瞑想。没入感のあるマインドフルネスは多分一生忘れられない。

真言密教のお寺で瞑想。没入感のあるマインドフルネスは多分一生忘れられない。

※この記事は個人的な感想が多く含まれています。

先日、不思議な体験をした。
お寺でご住職に導いていただき、瞑想を行ったときだった。
阿字観(あじかん)と呼ばれる瞑想法。

真言密教のお寺の本堂に入り、椅子に座る。
手は法界定印(左手の上に右手を置き、親指と親指を軽く触れさせ卵形を作る)に整える。
お経が始まった。

今から、目の前に掛けられている阿字観の絵を自分の意識のなかに入れるイメージをする。
描かれた円は満月の輪(月輪:がちりん)。
輪のなかには、清らかさの象徴である蓮華と、真言密教で万物の元を意味する「阿」の梵字。
阿字観本尊の梵字は「大日如来」を表す。
まぶたの裏に阿字観の絵を焼き付ける。
ご住職のご指示にしたがいながら、目を閉じてゆっくりと口から深く息を吐く。
自分の内面の汚れを手足の先端から全身、胸、のどを通ってきた空気に込めてゆっくりと吐く。
吐ききったらひと節をつけ、今度はゆっくりと鼻から息を吸う。

仏や神々、阿字観本尊から清らかさに満ちた空気を感じながら。
また、自然の摂理から溢れる清浄な空気を感じながら。
ゆっくりゆっくりと息を吸う。

途中、阿字観の絵が思い浮かばなくなったら半眼で目の前の軸を確認する。
そしてまた目を閉じ、呼吸に集中する。
これを何度も繰り返す。
後半の呼吸は息を吐くときに静かに「あー」と声を出す。
だんだんと日常と非日常の意識の境界が曖昧になってきた。

阿字観の絵が自分の胸に近づいてくるのをイメージする。
半眼で阿の梵字を見つめると字が立体的に見えてきた。
何度も繰り返していると、頭のなかの遠くの方でノイズのような音がしていることに気が付く。
ハッと思い、目を全開に開けてしまった。
体験したことがない心地良い感覚へ没入することに、自分自身がうろたえたのだろう。
そう考えると妙に納得できて、目を閉じると瞑想に集中できた。
続いて口を閉じ、奥歯を軽く嚙み合わせ、舌先を口のなかの上にあてる。
鼻でゆっくりと呼吸を続ける。
阿字観の絵が自分の胸に入り大きくなるのをイメージする。
それが自分を越え、無限大に大きくなる宇宙を想像してみる。

 

日常では観えない自分の姿。

お寺ではない、知らない空間にいるような不思議な感覚になった。

最近の自分の見栄を張った行動。
自分を大きく見せるための愚かな発言。
虚勢を張っていたんだと分かった。
近頃、時々息がしづらくなることもあった。
突然やってくる、理由がわからない漠然とした不安に怯えていたことも。
一生続く圧力があるように思えて気が滅入っていたことも。
そんな自分が、瞑想中はちゃんと正面から観えているから不思議だ。

そこにいるのは愚かさをひけらかしながら、逃げ腰の滑稽な姿勢でしか日々を生きられない自分。
自分の内側に無意識に溜め込んでしまっていた何かを、意識的に吐き出す。
忙しく生きれば心に納得できていないことも溜まる。
それを消化不良のままやり過ごし、気持ちが混沌とすれば正しさを見失う。
瞑想をしながら良かったと思うことがあった。
それは、自分のなかで消化できないものが、なんとなくわかる気がしたからだ。

「脈々と受け継ぐ、ご先祖さまから繋がれきた命を感じてください」
ご住職から、そのような言葉が聞こえたときだった。
普段ご先祖と聞くと、祖父や祖母の顔しか浮かばない。
でも目を閉じて瞑想していると、そのもっと前、さらにもっと前から命が繋がれていたことが認識できた。
生命の誕生からずっと命は繋がっていて、今もこうして生きている。

 

自分と自分以外のすべての存在。

最後に、大きく広げた阿字観の絵を小さく縮めていき、胸から出して軸に戻すイメージをする。
目を開けて、手で身体に触れずにお祓いをする。

どれくらい瞑想をしていたのだろう。
途中から時間の感覚がわからなくなった。
心は断捨離され、視界はクリアになった。
深い眠りから、心地良く目覚めた時の感覚に似ている。

自分と自分以外のすべての存在が有る。
そう意識すると、自分という存在が有ることが浮き彫りになる。
そしてそれらはすべて繋がっている。
命は本来、孤独ではない。
苦しみを救ってもらえる何かがあると気が付くと、気持ちが少し楽になった。
マインドフルネスという心の整え方は、真言密教では平安時代から阿字観などで伝えられてきた。
複雑な現代社会でも、先人の偉大な知恵は人を救う。

 

阿字観はヨガ。

ご住職曰く、怒りがすべてを壊す根源だという考え方が仏教にはあるそうだ。
自分も家族も大切な人もすべてを壊す怒り。
従って瞑想で怒りを鎮め、心を平和な状態にする。
忘れがちになることなので、お寺では毎日、ご作法に従ってご祈祷を行っているという。

瞑想が終わり本堂を見渡すと、荒々しい形相の神や仏が多い。
穏やかな神や仏だけでは、救えない人がいるというのが真言密教の教えで、時に鬼のような形相でないと導けない人がいるのも真実だという。
真言密教は、806年に空海(弘法大師)が唐から帰国し広めた宗派で、日本の仏教のなかでも作法や教えがインド仏教に近いこともあり、阿字観の瞑想はヨガの一部として捉えられている。

 

弘法大師生誕1250年を記念した事業がスタート。
左:愛宕山上福院龍泉寺ご住職の岡本祐璋さん。右:丹生大師神宮寺副住職の岡本祐真さん。

今回、瞑想をさせていただいたお寺は松阪にある愛宕山 上福院 龍泉寺(あたごさん)で、導いていただいたのはご住職の岡本祐璋さん。また瞑想体験を受け付けている龍泉寺を繋いでいただき、当日もご同行いただいたのは丹生大師 神宮寺の副住職 岡本祐真さん。

今年は弘法大師ご生誕1250年で、松阪市と多気郡の真言密教系の7つの寺院が協力して「松阪七弘法巡り」がスタート。無病息災・福徳円満・諸願成就(合格祈願)をご祈祷した七福特別御朱印を用意し、すべての寺院を巡り満願された方の名前は、神宮寺大師堂にて奉納祈念される。
事務局を担当する神宮寺の岡本さんは「昨年(2022年)の12月24日からスタートしたのですが、思いの他ご参加いただく方が多くて感謝しています。地元の方なら1日で巡ることもできるので、ぜひお気軽にご参加いただければと思います」。

また寺院によっては、写経体験や阿字観(瞑想)なども予約制で受け付けている(詳しくはHPで)。真言密教系の寺院はこの辺りでは少ないが、宗派独特の明王という守護の神々、仏教を守る帝釈天や梵天などの神々、権現などの神を祀る神仏習合時代の名残も知ることができる。

龍泉寺にある梵字の曼陀羅

今回、瞑想をさせていただいた私の感想。あれから2日しか経っていないのですが、心身ともにいつになく好調であること、そしてこんなに近所で非日常体験であるマインドフルネスができることは驚きで、また何かの折にお寺に行きたいと思いました。

 


 

松阪七弘法巡り
hp http://www.ms2.mctv.ne.jp/nanakobo/
in https://www.instagram.com/7.kobo/

愛宕山 上福院 龍泉寺
松阪市愛宕町1丁目4
hp http://www.atagosan.com/

丹生大師 神宮寺
多気郡多気町丹生3997
in https://www.instagram.com/jingujl

 


 

阿字観と座禅の違い
座禅は煩悩を消して無を目指す。
阿字観は煩悩も含め全てを認める。

龍泉寺さんでの阿字観体験は、説明を含め30分〜1時間です。
宗派等関係なくお申し込みいただけます。
体験料(奉納)
30分まで 500円
それ以上 1,000円
※阿字観は体験する人によって感じ方が異なりますのでご了承ください。

 

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