私が暮らす三重県津市には、浅草観音(大東区)、大須観音(名古屋市)と同じく日本三観音のひとつと呼ばれる津観音(恵日山観音寺大宝院)がある。1300年以上の歴史を持ち、戦前までは津観音を中心に津の町が形成され、本堂や鐘は国宝に指定されていたが、昭和20年の戦火で国宝含む多数の寺宝が焼失。しかしながら今でも地元の人からは「観音さん」の呼び名で親しまれ、観光客も訪れている。さらに最近、訪れる観光客数が増えていると聞く。
ご存知の方も多いと思うが、明治時代までの日本は「神仏習合」という考え方が主流であり、民衆は神と仏を調和し同化させていた。今では不思議だと思うのだが以前、比較宗教学者に話を聞いたところ、当時の民衆は現代ほど神仏や宗派などの違いを明確視できていなかったらしい。
これは私の勝手な見方だが、仏教や神道などの宗教ができる前、原始自然信仰で巨岩や自然に祈っていた日本人にとって、ひとつの神を祈る欧米諸外国とは違い、祈る対象はもっと漠然と広い観念だったのではないかと思うことがある。それは日本が台風や地震など厳しい自然環境で暮らす島国であり、同じ島国である太平洋島嶼国とも似ていて、人間の力では及ばない「絶対的な何か」に願い、祈っていたように感じる。
津観音には伊勢神宮の天照大神の唯一の分身として「阿弥陀如来像」が祀られており、その根拠を示す歴史的資料も多く残されている。神仏習合の時代には、津観音の阿弥陀様に参拝しないお伊勢参りのことを「片参り」と呼び、お伊勢参りがブームになった江戸から明治期には多くの参拝者で溢れかえっていたそうだ。そして近年、200年ぶりに当時(文政5年・1822年)の「国府阿弥陀如来」御朱印が復活。復活した御朱印を通じても観光客が増えているそうで、特に「阿弥陀如来像」が開帳される正月三が日には、お伊勢参りとセットで約1000人/日も参拝しているという。
さて年の瀬。テレビを付ければ「どん兵衛」の年越し蕎麦のCMが流れ「もうすぐ今年も終わるんだな」と思うとともに、津に生まれ育った私は、子どものころ大晦日にきいていた津観音の除夜の鐘を思い出す。凜と冷え切った空気、焚き木の匂い、新年を迎えるどことなく喜ばしい雰囲気、そこに響く重厚な鐘の音が好きだ。
複雑で不安定な現代社会の新年を迎えるにあたり、なんだか久々に除夜の鐘を聞きながら年越しをしたいと思った。そんな除夜の鐘とは、そもそもどんな意味合いがあるのだろう。津観音第28代住職・岩鶴密伝(いわつるみつでん)さんにお話をうかがった。
煩悩(ぼんのう)とは何か。
除夜の鐘は108回突くと聞いたことがあり、108とは仏教的に煩悩を表す。そもそも煩悩とは?
岩鶴住職:108という数字はインターネットで調べていただければ、たくさん理由が出てくると思います。理解しやすいのは、仏教が生まれたインドでは、108以上は無限を表す数字です。煩悩とは簡単にいうと、全ての欲望のことです。108回鐘を突くとは無限の煩悩を表現していると考えられます。
お金持ちになりたいのになれない。楽したいのに楽できない。自由な生活がしたいのにできない。お話を聞いていて、そんな自分の姿がよぎった。
岩鶴住職:人間は限りない無限の煩悩があり、苦しみの原因が欲望であると仏教では説きます。例えばお金持ちになりたいのになれなかった。欲があるから苦しみが生まれると考えます。
うぅ。見た目には「お金なんて興味ないですよ」みたいな立ち振る舞いをしている自分がちょっと恥ずかしい・・。混沌とした時代のなかで、心がモヤモヤすることが多いのも、何かに制限されてもフツフツと湧いてくる欲と葛藤していたのかと考えると、欲が少ない赤ん坊や謙虚なお年寄りが清らかに見えることが納得できる気がする。そしてあの心地良い除夜の鐘の音は何なのだろうか?
岩鶴住職:津観音では、鐘の音は如来菩薩の声だと伝えています。除夜の鐘、つまり仏の声で欲を鎮める。そして清い身体になって新年を迎えるという意味があります。
科学的なことは詳しくないが、鐘の音は自然療法に取り入れられていると聞いたことがある。一定のリズムで響き続ける鐘の音には有効な周波数があり身体に染み入り作用するということだろうか。とにかく心が落ち着くのは子どものころから体験済みで、科学が発展していない古の時代からそれが続いていたことが不思議に思えた。
鐘の音は、仏の声。なるほど。
御朱印帳とは何か。
寺内仏閣を巡ると、清らかな気持ちになる。近年、御朱印帳がブーム。御朱印帳とは何なのだろう。
岩鶴住職:御朱印帳はお寺や神社を参拝したことの証明書のようなものです。お寺では御朱印帳は納経帳ともいい、ご朱印があるお寺を納経所と呼びます。つまり「お経」を納めたことの証明であり、その証明が多いほど、功徳を積んだことになります。
そして最近では、棺に故人の御朱印帳を一緒に入れることもあるそうだ。
悩ましい時代であるほど、答えは見つかりにくい。答えを求めるほど、モヤモヤが増していく。でも日本人はそんなモヤモヤをいったんリセットするお参りという方法を、長い時間を掛けて歴史に積み重ねてきた。
神や仏、または絶対的な何かに、自分というすべてを委ねるちょっとした時間は、煩悩とともに生き、苦しみを抱えがちな今の自分に必要だと思った。そう考えが至ると、大晦日の除夜の鐘がより一層愉しみになってくるのでした。
【取材協力】
恵日山観音寺大宝院(津観音)
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※津観音の除夜の鐘は先着108回限定でなく、並んで順番を待てば突かせていただけます。
村山祐介。OTONAMIE代表。
ソンサンと呼ばれていますが、実は外国人ではありません。仕事はグラフィックデザインやライター。趣味は散歩と自転車。昔South★Hillという全く売れないバンドをしていた。この記者が登場する記事