ホーム 00冬 「冬が来て、今年が終わる」連載エッセイ【ハロー三重県】第31回

「冬が来て、今年が終わる」連載エッセイ【ハロー三重県】第31回

立冬を迎えたというのに、こちらの冬はまだまだうんと暖かい。
我が家の3人の子どもたちもまだまだ薄着だし、なんなら長男はまだ半袖を着ている。寝る時だって半袖だ。
これを書いている今だって、窓からさんさんとお日様が降り注いでいて心地いいったらありゃしない。
北の生まれなので、こういうことにいちいち感動してしまう。冬になるたび、ここはいいところだな、と思う。

とは言え、11月を過ぎたあたりから年の瀬がうっすらと見え始めるのはどこにいたって変わらない。気持ちがどこかそわそわする。年末にごちゃごちゃする前に、溜まっている仕事を少しでも片付けておかないといけない。普段どこまでも自堕落な私だってそんなことを思うのだ。
年末は忙しい。

*

とは言え、核家族の小さな我が家の忙しさなんてたかが知れている。
少ない年賀状を注文して、気まぐれな大掃除のまねごとをする程度。
トイレ掃除を念入りにしてみたり、子どもたちと水遊びみたいな窓ふきをするとかそんな感じ。

今思うと実家の年末はなんだかほんとうに慌ただしかった。
商売をしていたこともあるだろうけれど、12月の母はほんとうに忙しなかった。
事務所を覗くと天高くまで届きそうなほどの出すべき年賀状があって、年末のご挨拶の来客が誰かしらいた。
冬休みの宿題を抱えて、事務所の隅のほうを間借りしていた私は、漢字の書き取りをしながら年の瀬をひしひしと感じたものだった。

いよいよ晦日が近づくと、自宅の廊下には大量の大小の鏡餅がずらりと置かれるようになる。それを見るといつも「いよいよ始まった」という気持ちになる。
市内のお餅屋さんが届けてくれるその餅を、私たち姉妹は家中に飾らなければいけないのだ。それが年の瀬の子どもの仕事だった。

*

まず仏間の床の間と事務所に一番大きな鏡餅が置かれる。
地元では紅白の鏡餅が主流で、下段が白で、上段にはピンク色のお餅が乗る。私は長くこれが全国的にスタンダードな鏡餅だと信じて疑っていなかったので、こちらに来て真っ白な鏡餅しかないと知ったときは驚いた。
紅白の鏡餅いいですよ。めでたい感じに遠慮がなくて。

確か私の記憶では、仏間にはあと5セットほど鏡餅を置いていた。
先ほどの大サイズに次ぐ、中サイズをワンセット、手のひらサイズの小セットを4つほど。
仏壇の中に2つ、その隣の位牌を置いてある祠のようなものの前にひとつ、床の間の大黒さん置物の前にひとつ、さらにいったい誰のための何なのかよくわからない掛け軸の前にひとつ、置いていた気がする。
いささか過剰に思われそうなのだけど、これだけにとどまらないのが我が家だった。
学習机3つにそれぞれワンセットずつ。職場のデスクすべてににワンセットずつ。休憩室にワンセット。自家用車全員分にワンセットずつ。重機があったので、トラックや重機それぞれにもちろんワンセットずつ。そして、すべてのトイレにワンセットずつ。お風呂と台所もしかり。祖父母や両親の個室にももちろんワンセットずつ、応接室にもワンセット。居間にだって当然ワンセット。

小さな鏡餅を入れたビニール袋と、小さなおみかんを入れたビニール袋と、半紙を持って、家中を巡るのだ。これをやるといよいよ、「ああ、今年が終わるな」と思う。

母は母で、お節料理の仕込みをしながら同時進行で大掃除をする。
黒豆を炊きながらお煮しめを拵えて、合間にあちこちを磨く。
ごった返す台所の隅におせちを仕込んだ鍋をぎゅっと寄せて、夕飯は手短に年越しそばを食べた。買ってきた海老天を乗せてさっとおそばを食べて、母はまた大掃除やおせちの仕込みに忙しなく、私たちは手伝ったり、お風呂に入ったり、紅白歌合戦を観たりしながら、年が暮れていく。
晦日は忙しくて、どこか儀式的で、少し厳かでもあった。
明日を新しく始めるために、しっかりとカーテンを閉める、そんな空気を感じていた。

*

こちらに来て年越しをして、驚いたのは晦日が賑やかなことだった。
夫の実家で年越しをしたことが何度かあるが、夫の兄一家もやってきて、みんなでいいお肉を食べたり、伊勢海老を頂いたりした。
みんなでどんちゃん楽しくやって、なんだか賑やかでお祭りみたいな年越しに驚いた。
大晦日にごちそうをたらふく食べるなんて経験をしたことがないので呆気にに取られてしまった。そして御馳走とともに年越しそばも頂いた。それはもう、満腹だった。
結婚してまだ最初の頃は、「いったいみんなどうしたんだろう」、と思っていた。この忙しない大晦日になんでまたこのようなご馳走を食べるんだろう、と。
年末のご挨拶にいらした方が暮れのご挨拶に伊勢海老を下さって、新鮮なうちにということになったんだろうか、と思っていた。
が、何度夫の実家で年越しを経験してもやはり、いつもなにかしらの見事な御馳走があって、そして、世の中には大晦日を賑やかに過ごす地域が多くあるのだと知った。

*

ここ数年は子どもたちの予定があったりして、どちらの実家へも行かずに自宅で過ごすことが増えている。
今回これを書いていて、うちの子どもたちにも「ああ、一年が終わるなぁ」と実感できる大晦日らしいことがなにかあるといいな、と思ったりもしたのだけど、とんと思いつかない。
御馳走を用意するほどの気風のよさは生憎持ち合わせていないし、母のように働き者でもないから、直前まで大掃除をするなんてこともお節を仕込むなんてことももちろんない。餅でも、と思えば面倒くささが先立つし、どかんと大掃除でも、と思えばもちろん腰が重すぎる。
今のところ、非常にちょうどよくて、私にとって都合がいい年越しをしていると言っていい。
あえてなにかするのなら、せいぜいがちょっといいアイスを食べる、くらいかもしれない。やわ餅とか。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で