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【三重の円空展】生涯で12万体の仏像を彫った僧侶が、三重に遺した「こころ」とは

目次

  1. 円空とは
  2. 三重と円空
  3. 円空が三重に遺した絵画
  4. 円空が三重に遺した仏像
  5. 円空が伝える「こころ」とは

コロナ禍、ロシアによるウクライナ侵攻、物価高、気候変動、災害、そして個人の仕事や人間関係の悩みなど。

現代社会は、複雑かつ多様な課題が山積し、人々はこれまで経験したことのないような事態に何度もに直面している。そんな時代は、VUCA時代(*1)とも呼ばれている。

(*1)VUCAとは、未来を予測するのが困難な状態を示す言葉で、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った造語。VUCA時代とは、想定外のことが次々と起こる時代といわれる。

混沌とした世の中で、人は何に救いを求めるのか。

私達がまだこの世に存在していないような昔から、そして現代でも変わらず、人々は平和な世の中であれと、神や仏に祈りを捧げてきた。

そして400年ほど前の江戸時代には、仏像を掘ることで人々を苦しみから救った僧侶がいた。僧侶といえば御念仏を唱えることで人々を救ってくれるだと思っていたし、仏師という仏像を作る職人は今でも存在する。仏像を彫る僧侶。とても気になった。

善財童子立像(自刻像)
岐阜県 神明神社

延宝2年(1632年)に円空は美濃国(現在の岐阜県)に生まれた。

円空は民衆を苦しみから救うため、全国を行脚して仏像を彫り続けた。その数は12万体にも及ぶともいわれている。そのうち5千体を超える仏像が確認されているといわれる。

そのほとんどは、愛知県と岐阜県に集中しているが、三重県内には現在37体の仏像がある。そんな仏像たちと円空が三重県を訪れた際に描いたとされる絵画が一堂に集められた企画展が、今月より三重県総合博物館(MieMu)にて開催されている。

三重県総合博物館(MieMu)第32回企画展『三重の円空』

本稿では、その企画展『三重の円空』の魅力を少しでもお伝えできればと思う。

1. 円空とは

寛永9(1632)年に美濃国に生まれた円空。7歳の時に長良川の洪水で母を亡くすという悲劇に見舞われ、母の魂はどこに行っているのかと、大人たちに聞いて回ったとも伝わる。母子家庭だった円空。このことがきっかけかどうかは不明であるが、仏門に入り、出家したとされている。

残念なことに、円空が若い頃の記録は全く残されておらず、分かっていないことが多い。想像するに母を亡くした深い悲しみを少しでも癒すため、厳しい修行に耐え、そして母の優しい眼差しを観音像に彫り続けたのではないかと想像する。

2. 三重と円空

延宝2年(1674)、円空が43歳の年に志摩地方を訪れている。円空はその地に中世から伝わる大般若経(*2)の写本の修復に関わり、その一部に見返し絵を描いている。

(*2)大般若経とは「大般若波羅蜜多経」の略称。インドヘ渡って仏典を学んだ唐の僧侶、玄奘三蔵が帰国後の633年に漢訳した教典のこと。日本へ伝来した大般若経は「鎮国の典、人天の大宝」といわれ、「国家安穏、除災招福」「現世安穏、追善菩提」を目的に、写経、版本、転読、真読が盛んに行われていた。

開催されている三重県総合博物館の企画展『三重の円空』では、この貴重な円空の絵画作品を前期後期の二回で全点観ることができる。(前期:10/8〜11/6、後期:11/8〜12/4)

3. 円空が三重に遺した絵画

志摩市片田と志摩市立神で絵を描いた円空

延宝2(1674)年の6月から8月にかけて円空は志摩市阿児町立神を訪れ、伝来した大般若経を修復した。その際、円空は経文が書かれていない見返しの部分に「釈迦説法図」130点を描いている。「釈迦説法図」とは本尊釈迦如来を中心に、菩薩や十六善神が取り囲んでいる様子を描いたもので、これだけの数が残っている事例は他にないそうだ。

立神で描かれた絵画はシンプルな線で表現されているが、実に伸びやかで生き生きとした筆づかいが感じられる。

また、志摩市志摩町片田の大般若経にも同様に「釈迦説法図」58点が描かれている。これは立神より先に描かれたと考えられており、立神とは大きな違いが見られる。片田の大般若経では、立神とは異なり詳細に仏の姿を描いているのである。それは素人の私の目にも明らかである。
片田、立神と順に見ることで、円空の作風の変化を大いに感じることができるのだ。

唯一朱印が捺されている作画

企画展に展示されている作画の中で一点だけ、朱印の円空印が捺印されているものがあった。これは写経も円空の自筆の可能性があるのだそうだ。ぜひ、展示を見て探してみてほしい。(「円空印」もとても可愛らしい絵で癒された。)

4. 円空が三重に遺した仏像

最初期に彫られた2体の仏像

近年は仏像ブームでもあり、歴女ならぬ「仏女」という仏像を愛好する人を表す言葉も生まれているほど。そんな中、円空の仏像は「円空仏」と呼ばれ、高い人気を誇る。

三重県内には、現在30体を超える円空仏が伝わっているが、今回の企画展ではその多くを鑑賞することができる。

聖観音菩薩立像
志摩市 少林寺

私が今回展示されている円空仏の中で最も魅了されたのが、『聖観音菩薩立像』と呼ばれる作品である。これは円空が仏像を作り始めた最初期の頃に彫られたといわれる2体のうちの1体でもある。

ぜひ企画展にて本物を観ていただきたのだが、仏像を掘るのには不向きだとしか思えない、朽ちた薄い木片に彫られているのだ。また木片の割れた部分を最大限活かし、最小限の彫刻で造られている。素材の持ち味を活かした、とても小さな仏像が微笑んでいる様子に誰もが自然と心が癒されると思う。

円空が仏像を作り始めた最初期の頃に彫られたといわれる2体のうちのもう1体はこちら。

護法神像
志摩市 少林寺

「護法神像」と呼ばれる像である。こちらも木の表面が荒々しく節も多いため仏像を彫刻するのに適しているようには見えない。そこに眼や口など最低限の彫刻を施してあるのだ。その自然な姿が山などの自然界に大昔から住んでいる精霊のようにも見える。

多様な円空仏

企画展では『第二章 三重の円空仏』で三重県に残る円空仏をそして、『第三章 円空仏のひろがり』で三重県外に伝わる円空仏の両方を観ることができる。

同じ不動明王立像でも全く異なる仏像の姿に、円空の作品の多様性とひろがりと感じられると思う。一つ一つの仏像の表情の違いや、質感の違いなど存分に楽しむことができた。

5. 円空が伝える「こころ」とは

「仏女」でもない私が企画展『三重と円空』を訪れて、想像以上に感銘を受けた。正直人が仏像に興味を持つのは人生も終わりにに差し掛かり、何かを悟り始めた頃なのではないか、など思っていたが。

そして、やはりインターネットサイトや書籍で見るのとは全く違う感動があった。木の質感が手にとるように分かり、その木が持っている特徴を最大限に活かして、表情と手を合わせる所作を表現している。その世界観を否応なく感じることができたのだ。

善財童子立像(自刻像)
岐阜県 神明神社

『善財童子立像』はその木目が皺に見えることから自刻像ではないかと言われている。分かっていないことが多い円空ではあるが、こんなお姿だったのかと想像するだけで嬉しくなる。

大般若経の見返しの部分に描かれた「釈迦説法図」、そして円空仏の数々。三重県各地に今も遺るそれらの作品を鑑賞し、円空が伝えたかったことを自分なりに考えてみた。

円空が伝える「こころ」は次の3点ではないかと思う。

慈悲のこころ

聖観音菩薩立像
聖観音菩薩立像
岐阜県 生櫛自治会

一つは、慈悲のこころ。これは他の仏像にも共通していると思うが、特に優しい表情をした仏像にはまるで手を大きく広げて待っていてくれているかのような無限の包容力を感じることができた。また仏画も同じく、さまざまな仏や神の話し声まで聞こえてくるような様子にこころが自然と柔らかくなった。

自分らしさこそ尊い

大般若経
志摩市片田区 金剛院

そして二つ目は、自分らしさこそ尊いということ。円空の描いた「釈迦説法図」には実に多くの人物が描かれているが、各人がそれぞれの役割を果たし、それぞれの表情を見せている。

また円空仏も同様に一体一体異なる表情と木の質感、大きさも人の背丈よりはるかに高いものもあれば手のひらに乗るくらいの小さなものもある。物言わぬ仏像のそれぞれの姿が、様々な形で心に訴えてくるのだ。熱心な信者でなくても、企画展を出る頃には誰もが自然と手を合わせたくもなるだろう。

アイディアの拡張

大般若経
志摩市 立神自治会

そして三つ目は、目の前にあるものから自由に発想を広げ、アイディアを拡張させることである。

円空の描いた「釈迦説法図」の作品の変化は上述した通り。それが企画展でずらり並んでいるのを一つ一つ見ていくと、強く実感できる。最初の詳細で丁寧に描かれた「釈迦説法図」からはどんどん自由に描かれていく様子を一点一点眺めるうちに、「こんなのもありなのか」、「これもいいな」と表情の違う作品に魅了されていくのだ。

TBSの人気番組『プレバト』で7月からスタートしている「ストーンアート」の先生も仰っていたことを思い出した。描きたいものを決めてからそれに見合った石を選ぶのではなく、手に取った石の形をを見てそこから作品のイメージを創っていくのが良いと。石が持つ特徴から発想を広げて新たな可能性を見出すのである。

円空仏も同じく。自然界に存在する木だから形は様々であるし、中には腐っているものもあろう。それらが持つ可能性を作品を通して広げていくのである。

円空の没後、その存在も作品も長らく埋もれてしまっていたという。そんな中、円空の価値を見出し高い評価を与えた人物は三重県出身の彫刻家である「橋本平八」だったのだそうだ。

三重県立美術館「橋本平八の生涯」

三重に多くの作品を遺してくれた円空を私たちが知ることができるのは三重県出身の平八の存在であると考えれば、円空と三重県の縁にも感謝せずにはいられない。

最後に、俳句好きな筆者が今回企画展を訪れ、円空について一句詠んだものを残しておく。

地蔵菩薩立像
個人

龍天に登る円空仏の黙 佐久良花

皆さんもぜひ、『三重の円空』に足を運んで円空が今に伝える「こころ」について、それぞれで感じていただきたい。

【参考文献】

三重県立美術館

観光三重

円空連合

正信寺「住職のこぼれ話」

WARAKUWEB「仏像を生涯に12万体も彫ったといわれる円空とは。いかにしてその数を成し遂げたのかに迫る!」

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