ホーム 02【遊びに行く】 山と水と暮らす@飯高の新しい体験と森のお話

山と水と暮らす@飯高の新しい体験と森のお話

この巨木は水屋神社(松阪市飯高町)の境内裏にあるクスノキ。

樹齢は1,000年以上ともいわれ、地面から盛り出た根の部分に貫禄と生命力を感じる。クスノキのすぐ真下には櫛田川がある。地元の人になぜこのクスノキが今も健在かと尋ねると、川の水の栄養を吸収しているからではないかという。確かに、飯高の山々の養分豊富な水は櫛田川に流れ、伊勢湾に流れつき多様な生き物を育む源となっている。巨木のクスノキは常緑広葉樹のため、表面に見えている何倍もの面積の地中に根が張り巡らされ、水源が近くにあることで根から豊富に養分を吸っていることがイメージできる。
水屋神社ではこの地の水を春日大社に送る、お水送りという儀式が859年から行われ、今も続いている。水に縁のある神社があり、森とともに生きている飯高町に最近おもしろい動きがあると聞き、取材をした。

 

森で新しい概念に出会う

飯高町で木の製材や木工品などを手掛ける、もくいち・マルゴ。

もくいちHPより
もくいちHPより
もくいちHPより

製材所に隣接した店内には一枚板や作家物の家具・雑貨などが並び、店の一角はコワーキングスペースとしても活用している。もくいちは、自然派志向のアウトドアブランド「mōku(モーク)」も展開していて、木のぬくもりとスタイリッシュなデザインに特徴がある。

もくいちHPより
もくいちHPより

また「mōku alfresco (モーク・アルフレスコ)」という、自然に直接ふれて体験するプログラムも行っていて、希望者にはmōkuのアウトドア製品も貸し出している。

もくいちHPより

プログラムの内容は櫛田川でのカヌー体験もあり、100年杉で造ったカヌーも利用ができる。

もくいちHPより

他にはジビエ料理体験や伊勢と大和の国分伝説巡りなど。他にも森林ツアーなども企画中。以前に別の取材で林業家にご案内いただいたことがあったが、森は私の知らないことだらけで今でも印象に残ることが多い。

噛むとハミガキみたいな香りがする葉っぱ、山中から垣間見る山脈の美しい風景、木々の間から漏れる陽の光、岩肌に流れる湧き水などなど。
私事で恐縮だが平野部に育ち、近くの海は遠浅の穏やかな伊勢湾だった。森にあまり馴染みがなくどことなく入ることに少しこわさもあったのだが、プロの林業家とご一緒すると新しい概念に出会うこともできる。それは時間の概念だと思う。

 

 

森の時間で呼吸を整える

叶林業さん

林業家は100年先の森の姿を想定しながら仕事をするという。どこに木を植えて、どこの木を伐採するのか。ただ想像するだけでなく、緻密に計画を立てなければ木材の生産はできない。毎日100年という時間の先を見ながら暮らす。林業家にとって当たり前の暮らしだが、書類の束を掛け分け、メールのやりとりなど日々の仕事に追われる自分からすると、とても長い時間に身をおいているように思える。江戸時代から続く林業家に話しを聞いたのだが、そのような時間の流れ方は今の代だけではない。父や祖父が植えた木を守り、自分達の子どもや孫の代に向けて木を植える。

じっくりと時間を掛けて何かが育つこと。それを体感的に知っていること。つまりそれは精神的な安定にも繋がる気がする。バッと考えて、バンッと登場して、スッと忘れ去られていくことの怖さがあるのが、ファスト化の加速に歯止めが効かない現代だと思うからだ。例えるなら現代の呼吸は浅くて早く、それが人だと病気になりやすい。深くゆっくりとした呼吸は気持ちを整えてくれる。森は交感神経を刺激する現代とは違い、副交感神経に優しい。

 

人間にも巡る自然の循環

飯高町は約9割が民間林で、その内約7割が杉や檜の人工林。戦後の復興等のために木材需要が急増。拡大造林政策により杉や檜という針葉樹が植林され、森は変わっていった。しかし時代の流れは海外産の安価な木材の輸入により、国産木材の需要は減った。林業はそうした課題に直面していて、この先の100年は変革期だとされている。
この辺りの山に人の手が入る前、針葉樹だけでなく広葉樹類など多様性のある木々があり、それは山にとって健康な状態であり、植物だけでなく動物も含めた生態系バランスも取れていた。つまり自然が作り出す環境には持続性があるということだと思う(どこか人間の呼吸と似ている)。

それは山から流れる水にしても、その水が育む命や、それをいただく人間にも巡る自然の循環。私は山と海のある環境でそのような自然の循環を知り、暮らしのなかで感じられることが三重の魅力だと思う。

話は戻るが、水屋神社の境内には杉、栴檀(センダン)、鹿子の木、楠、榊、椋、欅など様々な木がある。いつごろ植えられたかは分からないが、夫婦の木という同じ根から二本の木が育っている珍しい杉の木もある。これも水の力なのかと思い眺めていた。

多様性のある木々が境内に育っている様子に、水と森と生きる先人のメッセージみたいなものを感じた。本当に大切なものは論理を超え、愛でたいという気持ちが動く。それはきっと、自分のなかのなかにいる人が反応し、今の自分に教えてくれているのだと思う。

 

 

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