ホーム 00DayTrip 世界が評価をする映画監督「小津安二郎」が育った町、 三重県松阪市でルーツと魅力を辿る歴史観光の旅。

世界が評価をする映画監督「小津安二郎」が育った町、 三重県松阪市でルーツと魅力を辿る歴史観光の旅。

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山田洋次、是枝裕和、北野武、宮崎駿、庵野秀明、そして黒澤明。日本を代表する映画監督だ。2018年に是枝裕和監督は「万引き家族」でカンヌ国際映画祭でパルム・ドール賞という最高賞を受賞。また世界の人々を魅了し続けた数々のスタジオジブリ作品は宮崎駿監督によって生まれた。そして私たちは2021年、庵野秀明監督が手がける「全てのエヴァンゲリオン」とさよならをした。「男はつらいよ」の山田洋次監督や北野武監督の数々の名作は語ればキリがない。そして「世界のクロサワ」と呼ばれる黒澤明監督は世界でも評価される日本の映画監督であろう。

しかし今回紹介するのは上記の監督ではない。皆様は世界の映画監督たちが、もっとも高い評価をした日本人映画監督がいるのをご存知だろうか。そう、小津安二郎監督だ。

もちろん熟知している映画ファンもいれば、「小津安二郎」の名前だけは耳にしたことがあるという人もいると思う。2012年に英国映画協会により行われた「世界の映画監督358人の投票」で最も優れた作品として選ばれたのが、小津監督の映画作品「東京物語」。この映画の評価がどれだけ凄いものなのかは、下位の作品を見れば一目瞭然。「2001年宇宙の旅」、「市民ケーン」、「タクシードライバー」、「ゴッドファーザー」、「めまい」等、世界の名作より評価が高い。そして現代の映画やドラマの多くに、小津作品のなかに見られるローアングルなどの撮影手法「小津調」をオマージュした作品があることは映画好きの間では常識となっている。

 

人と町、普遍的な日常。

▲(映画監督 小津安二郎 青春のまち松阪より)

東京の深川で生まれた小津安二郎は9歳の時、父の故郷である三重県松阪市に移住。江戸時代から松阪市には小津姓を名乗る商人が多く、小津安二郎の家系は小津三家と呼ばれる名家のうちのひとつ「与右衛門家」の分家として問屋を営んでいた。9歳から映画の道を歩むため再び東京に上京するまでの10年間、小津安二郎は多感な10代を松阪で過ごした。

近鉄とJRが走る松阪駅周辺には小津安二郎が暮らした痕跡などが今でも残っていることから、「小津安二郎ゆかりの地」としてファンから愛されている。

余談だが、私は暇を持て余していた学生時代、数多くある世界の映画作品をレンタルビデオ店で漁っては観ていて、小津作品と出会い、ファンになったひとり。小津作品を観たことがない人に「魅力は何ですか?」と質問されると、私はすぐに回答できない。小津安二郎が監督になった当時は、白黒の映画どころかサイレント映画が主流の時代。従って小津作品の魅力を話すとなると、日本だけでなく世界の映画史から振り返る必要があるので、今回は主観と考察を交えて、その魅力をお伝えしたい。

小津監督の代表作「東京物語」で描かれるのは「家族の日常」だ。起承転結を求められる現代映画は非日常のストーリーを描くことも多く、伏線を散りばめて観客を映画に夢中にさせるような技術が用いられることが多い。しかし「東京物語」は、誰もが生きる上で経験をするような「日常」が描かれていて、小津監督を知らない人が「東京物語」を観た時に驚きや号泣するようなポイントがあるわけではなく、キャッチーなアクシデントが起きるわけでもない。したがって小津作品の何が特別で、世界に評価されているのかを理解できないということも十分に有り得る。

私は「普遍性」というテーマ設定が小津作品の魅力のひとつだと感じている。そしてメガ観光地ではなく、オフィスビル群が立ち並ぶわけでもなく、しかしながらどこか懐かしくレトロで、人々の営みや暮らしの体温を感じる松阪という町は、小津作品の魅力に通じる何かがあるような気がする。
小津安二郎はどんな人で、作品が現代に放つメッセージとは何なのだろう。いち映画好きのハシクレとして小津安二郎が育った松阪市を巡った。

 

小津監督のルーツを辿る「小津安二郎松阪記念館」

松阪駅から徒歩約15分。松坂城跡(松阪公園)内に、令和3年4月3日リニューアルオープンした「松阪市立歴史民俗資料館(2階 小津安二郎松阪記念館)」へ向かった。

小津作品の劇場看板やセットの模型など、小津ファンにとってたまらない展示品を見ながら建物2階の記念館への階段を上る。映画看板は、当時と同じように看板職人さんが再現したもの。

▲写真右下が小津安二郎少年

館内には小津監督が小学校の美術の授業で描いた絵や、生い立ちがわかる写真・資料が展示されている。

案内して下さったのは学芸員の岩岡太郎さん。

岩岡さん:小津監督が9歳から19歳まで松阪で暮らしていた当時、この建物は「飯南郡図書館」として利用されていて、小津監督も図書館に通っていたそうです。図書館で居眠りをしていたと日記にも残っているんですよ。

小津作品の特徴として撮影手法「小津調」が有名。その手法は独特で、スチール(写真)撮影のように決められた構図を固定カメラで撮影し、画面内に映る小物などの高さなどにも、とてもこだわる。
私は勝手に「そんな小津監督の少年時代はきっと真面目で几帳面な性格なのではないだろうか」と想像をしていたが、資料によると明るく元気で活発な子ども時代を送っていたと岩岡さんに教えてもらった。

▲小津監督作品「お茶漬の味」のシナリオ台本など
▲小津監督作品「生れてはみたけれど」のワンシーンで使用された映写機の同型機

映画監督になってからの、シナリオ台本や映画内で使用されていた映写機の同型機など、貴重な物も展示している。

館内にはデジタルサイネージもあり、画面をタッチすると数多くの名言を残した小津監督の言葉がランダムに表示され、いつまでも読んでいたくなる。

岩岡さん:小津監督が暮らしていた当時の地図から、小津少年の暮らしと松阪がどのような町であったかイメージすることができます。

そんな話を聞き、地図にあるスポットをいくつか巡ることにした。まずは、スポットのひとつで、小津安二郎の日記にも登場する老舗菓子屋を訪ねた。

 

お伊勢参りと松阪の関係性

記念館から歩いて約8分。老舗和菓子屋の「柳屋奉善(やなぎやほうぜん)」。小津監督の日記に、こちらのお店で御菓子を購入したと記されている。

▲「柳屋に老伴(おいのとも)三箱注文して兄と別れて公園に行く」
(店内に展示)

私は以前に松阪を代表する銘菓「老伴」は、お伊勢参りの定番お土産だったと聞いたことがある。柳屋奉善の17代・岡久司会長にお話をうかがった。

▲岡久司会長

岡さん:「柳屋奉善」ができたのは440年以上前です。1575年に滋賀県日野町で、蒲生氏郷公よりお茶菓子製作の命を受けたと伝わっております。当時、安土城の建設準備中であった織田信長公(蒲生氏郷公の義父)に捧げるために「老伴」を作りました。

その後、蒲生氏郷公が松坂城を築城する際に、滋賀県の近江商人なども松阪に移り住み、町を作ったことが松阪誕生のルーツであり、町の成り立ちとともに「老伴」は今もある。

▲定番の味から今でははちみつや柑橘などを使った新作もある老伴

岡さん:「老伴」は、もなか生地のなかに羊羹が入っていて、全国的にもこのような組み合わせの御菓子は珍しいんですよ。当時の職人が、ハイカラなものを好んだ信長を喜ばせようという気持ちもあったのだと思います。あとお伊勢参りが盛んな時代、移動手段といえば徒歩で冷蔵保存の技術もなく、お土産は日持ちするものでないと旅の途中で傷んでしまう。伊勢の帰りに松阪に立ち寄り、日持ちしやすい「老伴」を多くの参拝者にお買い求めいただいたと記録が残されています。

当時の松阪はお伊勢参りの玄関口として旅人で賑わう宿場町。参拝者のなかには貧しい人もいたり、松阪で遊びすぎて資金が無くなった人などもいて、伊勢までの資金が足りなくなり、神域の入り口・松阪で伊勢神宮のお神札だけいただいて、帰路につく人もいたのだそう。その際にもお土産として「老伴」を買っていく慣わしがあったのだとか。

 

日本最初の厄除観音の霊場「岡寺山継松寺」

次のスポットは「岡寺山継松寺(おかでらさんけいしょうじ)」。こちらのお寺は「日本最初の厄除観音の霊場」で、奈良県にある「東大寺」建立が無事成功することを祈願するために建てられた歴史ある寺院。
聖武天皇が42歳の厄年に、岡寺山継松寺のご本尊「如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)」を宮中にお奉りし祈願した後に、当時、飯高郡石津郷(現在の松阪市石津町)にあった継松寺に再び安置したことから「厄除け観音」として名高い。(その後、継松寺は1617年に現在の松阪市中町に移されている。)

毎年3月には「初午大祭(はつうまたいさい)」が行われる。三重県内の仏教寺院の祭礼としては最大の初午大祭で、地元や全国から訪れる厄年の方々など、多くの参拝者で賑わう。

▲初午まつり「宝恵駕篭道中行列(ほえかごどうちゅうぎょうれつ)」の様子。
(写真:松阪市観光協会)

お寺の周辺にたくさんの露店が立ち並び、初午大祭本日に催される初午まつり「宝恵駕篭道中行列」は、地元の人にとって毎年楽しみの行事。小津少年も、友人や家族と一緒にお祭りを楽しんでいたのでは。

ご住職の柏木文雄さんにお話を聞かせていただいた。

柏木さん:松阪の町は、お伊勢参りが盛んであった江戸時代の賑わいほどではなくとも、第二次世界大戦の空襲を逃れたため、昔と変わらない風景も多く残っています。

▲初午で賑わう継松寺(昭和31年)
(映画監督 小津安二郎 青春のまち松阪より

蒲生氏郷公が松阪の町をつくる1588年よりも更に遡ること約800年以上前に石津に創建され、江戸時代に現在の中町に移され、それから現在に至るまで松阪市の成長を見てきた岡寺山継松寺。時代は移り変われど、変わらない風景。この界隈にはお寺が多く、そんな環境で育った小津少年にとって変わらないこと、つまり「普遍性」への意識というのは、幼いときから身に染みついていたのかも知れない。

 

愛宕山龍泉寺と映画館・神楽座

続いてマップにあった「愛宕山龍泉寺(あたごさんりゅうせんじ)」へ。

小津監督の日記には「夜、家に風呂なければ愛宕山のはたの温泉風呂に一人二銭」と記されており、日頃からよく訪れていたと思われる。

▲初愛宕大祭の様子
(映画監督 小津安二郎 青春のまち松阪より)

ここでは江戸時代から続く縁日「初愛宕大祭(はつあたごたいさい)」が行われ、1月に火除けの護摩、火渡り、愛宕市が開かれ多くの人で賑わう。

▲神楽座 (映画監督 小津安二郎 青春のまち松阪より)

昔は「愛宕山龍泉寺」の門前に賑わいがあり、寺のすぐ前に「神楽座(かぐらざ)」という映画館があった。映画館に足繁く通った小津少年は監督になった後「もし、この小屋がなかったら、僕は映画監督になってなかったと思うんですよ」と語っている。また、神楽座周辺の愛宕町にはもともと遊郭があり、お伊勢参りに向かう旅人で賑わった。

▲現在は飲食店などが立ち並ぶ

 

永遠に通じるもの。

松阪を巡り、私は小津監督のこの言葉を思い出していた。

小津安二郎:永遠に通じるものこそ、常に新しい。

小津監督が描いた日常。それがどれだけ尊いものなのか。そこには永遠の命ではない人がいて家族がいる。止まらない時間、変わり続ける時代がある。
つまり、日常には普遍性がないのだ。小津作品にはその時代の日常をフィルムを通じて美しく描かれている。それぞれの時代が持つ美しさは、時代が変わるからこそ価値がわかる「永遠に通じるもの」だと思う。そんな小津作品はこれからもきっと「常に新しい」存在であり続ける。

そして松阪で垣間見られる変わらない物や景色、レトロな町並み、暮らしを感じる空気には、意図的に作られた観光地にはない良さがあり、時を経てこそ美しく、その価値に気がつくのではないだろうか。
さて、私たちの生きる令和という時代は、思いがけないスタートとなった。人々の価値観が急速に変化し、モノよりコト・ココロを重視する時代への変化が加速したように思える。そんな時代にあなたも「永遠に通じるもの」を発明した小津監督が育った松阪で「常に新しい」なにかを見つけてみてはどうだろう。それはもしかしたら、散策を通じてあなた自身のなかにある何か大切なことに気がつくことで、日常という二度と戻らない一瞬に、愛おしさを覚えるきっかけになるのかも知れない。

 


 

松阪市立歴史民俗資料館(2階 小津安二郎松阪記念館)
住所:松阪市殿町1539
電話:0598-23-2381
ホームページ:https://matsusaka-info.jp/ozu/

柳屋奉善
住所:松阪市中町1877
フリーダイヤル:0120-51-0138
ホームページ:https://www.oinotomo.com/

岡寺山 継松寺
住所:松阪市中町1952
電話:0598-21-0965
ホームページ:https://www.okadera.com/

愛宕山 龍泉寺
住所:松阪市愛宕町1−4
電話:0598-21-2931

 


 

【タイアップ】
松阪市 観光交流課
松阪市殿町1340番地1
tel 0598-53-4196
松阪市サイト https://www.city.matsusaka.mie.jp
松阪市観光プロモーションサイト https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/kanko/
松阪市観光インフォメーションサイト https://matsusaka-info.jp/

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