ホーム 02【遊びに行く】 連載エッセイ【ハロー三重県】第15回 「伊勢えび祭がとても好き」

連載エッセイ【ハロー三重県】第15回 「伊勢えび祭がとても好き」

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この令和の疫病で、私が愛する梅雨の一大イベントがなくなってしまった。

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夫の実家がある志摩市には、毎年6月に約4万人を動員すると言われる祭りがある。
その名を「伊勢えび祭り」という。
まず、その名前がとてもいい。食べ物の名を冠しているところから、どこか、のんきさが漂うのだけれど、そこは伊勢海老、力強さも兼ね備える。
伊勢海老という豪奢な食べ物を掲げるところに、海の男を思わせる大胆さも垣間見える。
とにかく、名前からして、センスがとてもいい。

初めてその祭りの誘いを受けたとき、私は、伊勢海老にちなんだ煎餅とか、伊勢海老のみそ汁とかが振舞われる、アットホームでのんびりとした、祭りだろう、と思っていた。
なんせ、志摩の風土がそういうものだと感じていたから、おおらかでゆったりとしたぬくもり満点の、ささやかなお祭りだと思った。

のだけど、蓋を開けたら、会場は熱気であふれ、沿道には人がひしめき合って、数えきれないほどの屋台が軒を連ねていた。
そこにあったのは、牧歌的な田舎の祭りではなく、なんかとりあえずでかい祭り、だった。

会場の広さと人数に圧倒されながらも、とりあえず沿道の人たちに倣って、私たちも、沿道に陣を取った。
これからなにが始まるのかもよく分からないまま。

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人の入りはどんどん激しくなって、日が陰るころには、繋いだ姪っ子の手が離れるのではと心配になるほどの人であふれかえっていた。
そして、始まる、あのお囃子。
名曲「伊勢えび囃子」、かの有名な「じゃこっぺ踊り」の始まりである。

じゃこっぺというのは、伊勢えび囃子に合わせて踊る踊りのことで、じゃこっぺには志摩の色んな団体が参加する。
それぞれに衣装や振付にオリジナリティを加えてくるので、それはもう華やかだ。
初めて見たあの日から、私はじゃこっぺの虜になっている。
いつなんどきだって、頭の中で即座に再生して、あの高揚感を味わうことができるのは、じゃこっぺを知る者の特権だと思う。

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そもそも、「伊勢えび囃子」が名曲過ぎて参ってしまう。
この祭りの総合演出を司るのはこの「伊勢えび囃子」に他ならない。
この曲が、伊勢えび祭を伊勢えび祭たらしめている、と言っても過言ではない。この曲がなければ、この祭りはおそらく、のんびりとした志摩の突端で行われるそこそこでかいお祭り、に過ぎなかっただろう。
この伊勢えび囃子が、この祭りに加わることで、祭りの盛り上がりは跳ね上がる。躍動と扇動が螺旋を描くようなこの囃子が、祭りの熱気を上げるのだ。

伊勢えび囃子は、一定のリズムを延々と繰り返す。
その一定のリズムの中に、鐘の音、太鼓、三味線が重なって、そしてその上に、海の男を思わせる歌い手の渋い声が響き渡る。
この歌い手さんの声がすごく、すごくいいのだ。荒々しくて、豪快で、まっすぐだ。

ダイナミックな伊勢えび囃子に合わせて、じゃこっぺ踊りが連綿と続く。
様々な団体が、工夫を凝らした踊りをそれは楽しそうに繰り広げる。
子どもだろうと、大人だろうと、年配の方であろうと、みんながとっても楽しそうなのだ。みんなが羽目を外して、派手な衣装に身を包んで、踊る姿は希望でしかない。

日が落ちて、ライトアップされた巨大な伊勢えびが輪に加わる。
うごうごと、うごめく伊勢えびが、どことなく不気味でそれでいて、神聖だ。
じゃこっぺ踊りは渦を描くように沿道から会場中央の広場へと侵入していき、長かった列は大きな輪になる。
この頃には、身体の隅々にまで、じゃこっぺのリズムが刻み込まれ、じゃこっぺの振りに合わせて手も足も、無意識に動いている。
私は生来、大袈裟なうえに感激屋さんなので、「大袈裟ですよ」といわれても仕方ないのだけど、それでも言わせてほしい。
じゃこっぺ踊りを見ていると、これが命で、そして、人生である、とさえ思うのだ。老いも若いも、エネルギーをはじけさせるその様に、毎回そう感じる。
高まる高揚感と一体感に、胸が熱くなる。
これは、一大フェスだ。これは壮大なモッシュだ。

永遠に終わらないでほしい、と願いながらも、とうぜん祭りは終わりを告げる。
冷めない熱を持て余しながら見上げる花火は、毎年とてもきれいだ。

*

伊勢えび祭は、初夏の日差しが強くなり、次第に湿っぽい風が吹き始める頃、憂鬱な気分の中にあった私の希望だった。

「でも、もうすぐ、もうすぐ、伊勢えび祭がやってくる。じゃこっぺがやってくる」

そう思うことが、低気圧と湿度を乗りこなすための、エネルギーだった。
ダンスサークルが織りなすあの圧倒的なパフォーマンス、市民病院のお医者さんたちのかわいい仮装、ド派手な衣装のあの団体、瞼の裏に焼き付いた彼らのじゃこっぺを、今年は見ることができないという悲壮と落胆、ここまで読んだ方にはきっと伝わっていると思いたい。
見れないと思うほど、思いは募る。

じゃこっぺが、伊勢えび祭が、世界遺産に登録される日を、夢に見てこの鬱陶しい梅雨を超えていくしかないのが、令和2年6月、私の近影。

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