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変化する毎日。1960年代の三重。その熱気を感じ「今しか味わえない時代の空気を楽しんでおこう」と思った話。

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これから幕を開ける2020年。’20年代の始まりであり、令和時代が完全に定着するであろう年。誰もが手軽に世界中と一瞬で繋がることができ、遠い場所も遠いと思わなくなってきた、そんな時代。
そして言わずもがな東京オリンピック開催年で、日本中がその事に様々な思いを寄せている。そんな巨大な箱を開けるような気持ちになる時。

時は遡り、以前東京オリンピックが行われた1964年。今から約60年前のこと。観光目的のパスポートが条件付きで発行が開始され、東海道新幹線も開業し、早く遠くに行ける感動を知る人が出始めた時代。高度経済成長期の只中でどこもかしこも前を向いていたであろう、そんな時。

今回三重県総合博物館(通称:MieMu)では「1960年代の熱気を未来につなぐ~出来事でふりかえる60年の歩み~」と題して、1960年代の三重県の様子を中心に、人々の暮らしにどのような変化があったのかを紹介している。変わり続ける時の中でどのように暮らしは変わったのか、ちょっとタイムスリップして1960年代の様子を3つの側面から覗き見てみたい。

 

交通の変化

現在、交通面で大きく変わろうとしている事といえば、車であれば自動運転が今後広く普及する事が予想でき、また鉄道であればリニア新幹線が開業に向けて工事を進めている、といったところ。前途の通り1960年代には東京オリンピックイヤーに東海道新幹線が開業になり、移動時間がグッと短縮した。では、三重県内の交通の様子を見てみるとどうだろう。

写真は実寸大。間近で背比べもできる。

まずは鉄道。
近鉄やJRの車両は見覚えがあるカラーではあるものの、形は丸く愛らしい表情をしている。目を彷彿とさせるライトは丸く、その当時を知らないのだが不思議と懐かしさを感じる。「レトロ」というイメージはどうやらこの頃の形から思い起こされていそうだ、という事がわかる。

鉄道網のこの頃の事件として伊勢湾台風がある。1959年9月の上陸し、1961年の災害対策基本法が制定されるきっかけとなった災害である。死者・行方不明者は5000名以上、高潮で線路も冠水した。その復旧の様子を克明に映した映像作品「伸びゆく近鉄」も鑑賞できる。人々の様子がはっきりとわかるため、復興そして路線の完成度が進む時の心の変化も読み取れる。

次に人々の乗り物の変化。当時の自動車といえば名作スバル360。てんとう虫の愛称で親しまれ、それまでの自動車のイメージからかけ離れる小さなファミリーカー。やっぱり顔つきは丸い形が印象的で、愛嬌が感じられる。隣の黒いスバル450は後部のエンジンも観察できる。

乗り物に使われる素材にも変化が。それまでは鉄が大部分を占めていたが、軽くて強いプラスチック樹脂も用いられるようになり、展示では富士重工の自動二輪「ラビット」で紹介されている。現代では良い部分も悪い部分も議論される素材だが、当時は自由な形に形成できて強い、そして安いという夢の素材の誕生に、心躍る人ばかりだったのではないかという想像に及ぶ。

三重の乗り物シーンで忘れてはならないのが本田技研株式会社鈴鹿工場。カブの全国的なヒットから工場を増設しないといけなくなった同社は、鈴鹿市に白羽の矢を立て、工場を建設。車両を製造するならサーキットコースを、ということでモーターサーキットという言葉に馴染みが無い時代に鈴鹿サーキット建設計画も持ち上がる。しかし、周囲は水田。その持ち主たちは当初建設反対するものの少しづつ理解を得た結果、世界的に有名な現在の世界的に有名なコースが形作られた。

知り得なかった歴史の1ページを、カブと写真パネルが物語る。

 

環境意識の変化

スェーデンの16歳が未来の環境について発信をし続ける昨今、痛ましい海洋ゴミで侵された海の生き物の写真や、広範囲にわたる山火事のニュース、人間の活動が原因と考えられている地球の環境の変化を「どうにかしないといけない」というのは多くの人が思うところ。

遡って戦後から1960年代ごろは、人間が経済的豊かさを遮二無二求めたが故の公害問題が深刻化した時期ともいえる。

有名な公害ではイタイイタイ病や水俣病、そして県内では四日市ぜんそくが思い出される。
現在、程近い場所に住む私はいまだにそのイメージから「空気、大丈夫?」と聞かれる時がある。もちろん、空気に関して特段違和感を感じることもなく、普通の生活をしている。でもそれは60年代の苦い経験があり、実現したこと。

四日市公害と環境未来館のパネルの数々。60年代を代表する公害を伝えるため今期は津に出張中のそれらが経過を語ってくれる。今現在よく車で通る地域の60年ほど前の表情は全く違い、その差に驚く。

二頭のカモシカの剥製が訴えかける。

また、ちょうど団塊世代。そして団塊ジュニア世代の間ではあるものの人口は増え続けていた時代。となれば家が建ち商業施設が拡大し交通網も開拓され、結果山を追われる野生動物が多くなる。国指定の天然記念物のニホンカモシカとて例外ではない。後の「日本カモシカセンター」である「鈴鹿山系カモシカ保存学術研究会」が、その事実からニホンカモシカの保護そして繁殖を開始したのもこのような背景があったから。

 

日常生活の変化

60年代というキーワードから自分の頭の中の引き出しを漁ってみると、ツイッギーやビートルズ、イヴ・サンローランのモンドリアンルックが浮き上がる。
また大学時代に書いたレポートの中から、現代一般的になっているステンレス製シンクを女性初の一級建築士・浜口ミホが1955年に提案し、’60年代には一般的になっていった、という事実も思い出す。

実は現三重県庁舎が完成したのは1964年、前回の東京オリンピックと同じ年。設計の担当したのは現松阪市出身の建築家・東畑謙三が代表を勤めた東畑建築事務所。東畑氏は他にも鈴鹿市民会館やインテックス大阪、京都大学人文科学研究所付属漢字情報研究センターなどを手掛けた人物だ。

パネルに写る完成当時の写真は、聖火ランナーを眼下に佇むピカピカの三重県庁。新しい庁舎とこれから始まる大きなイベントに期待しているであろう人々も賑々しく写る。

また、この時代は普通の暮らしの変化も著しい。50年代から60年代にかけての家電の普及はめざましく、それぞれの時代で「三種の神器」として大々的に宣伝され、普通の暮らしの手間ひまが大幅に簡略化されるようになった。人の手で動かしていた家事道具も進化し、その当時、皆が思い描いていた未来が現実のものになった。

家電が現れる以前の部屋。
家電が浸透した後の部屋。

展示では家電が現れる前と後の生活の違いを比べられる。家電が現れた部屋は30代の自分にとっては何だか子供の頃を思い出す雰囲気。特にレコードやラジオは憧れの対象だったな。

激動の時代と言えど、そこに暮らす人たちはそれが日常だと生活をする。それは今もきっと同じ。当時も多忙な生活の中、心の底の方で「次に起こる出来事」に期待をして時間を紡いでいたのだろう、と思いを馳せた。

今回タイトル「変化する毎日」は筆者が好きな音楽グループ「空気公団」の曲の1つ。その曲の終わりは太陽が朝を連れてきてくれる、という歌詞。変わらず変化し続けると受け取れ、それは今も1960年代も同じ。また50年後も人々は時代の変化に驚きつつ次の時代に期待しているんだろうな。

その時のことは知る由もないけれど、今は今しか味わえない時代の空気を楽しんでおこう、そんな気持ちになった。

 


 

三重県総合博物館 MieMu(ミエム)

MieMuとOTONAMIEのコラボ、OtonaMieMu(オトナミエム)。

住所:三重県津市一身田上津部田3060
TEL:059-228-2283
ホームページ:http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/
Facebook:https://www.facebook.com/mie.pref.museum
Twitter:https://twitter.com/mie_pref_museum

※第26回企画展「1960年代の熱気を未来につなぐ~出来事でふりかえる60年の歩み~」は2019年12月21日(土)~2020年2月24日(月・祝)まで開催。詳しくはMieMuホームページで。

 

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