ホーム 04【知る】 三重の廃線を巡る旅(2号車) 「四日市駅」が2つあるナゾ

三重の廃線を巡る旅(2号車) 「四日市駅」が2つあるナゾ

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ふと、名古屋市で勤務していた頃、後輩(関東出身)とした会話を思い出した。

後輩「先輩って四日市のご出身ですよね?」

私「そうやけど」

後輩「この前、同期との飲み会で四日市まで行ってきたんですよ。」

私「そうなんや」

後輩「で、四日市駅についたら全く集合場所と違ったんですよ。」

私「なんで?」

後輩「いや!普通はJRの駅だと思うじゃないですか?」

私「いや四日市の普通は近鉄だから。」

後輩「よそ者には難易度が高いですよ!びっくりしました。」

こういった会話は、日本の各地でも殊にJRと私鉄が並走する地域にてしばしば発生すると聞く。ただし、生まれ育った環境によりベクトルやイデオロギーが異なるため地元住民と訪問者が会い入れることはとても困難だ。

(近鉄四日市駅北口のふれあいモール)

ということで降り立った「近鉄四日市駅」1日の乗降客数は4万5千人(2018年実績)を超える三重県最大の駅である。

ここを通る近鉄線は、名古屋駅を起点に三重県の伊勢湾沿いを南下し、桑名、四日市、鈴鹿(白子)、津、松坂、伊勢、鳥羽、志摩と沿線の市の中心部を通るようになっている。一方で後輩が誤って乗車したJR線も上に挙げた市に駅を設けているが、私の生まれた四日市では2つの鉄道会社の駅位置がバラバラになっている。

なぜそうなったのか?近鉄からJRまで(四日市市民は区別するために会社名で呼ぶ)歩いてみることにした。


現近鉄四日市駅から幻の「諏訪駅まで」

(近鉄四日市駅北にある天理教四日市教会あたり)

歴史を調べると1956年(昭和31年)まで、近鉄名古屋線はいまの近鉄四日市駅がある場所のすぐ北側で大きくカーブを切って東へ向かっていた。この地点を当時は「天理教カーブ」と呼んでいたようだ。

(北口のふれあいモールは実は線路跡だった)

旧線路の跡は、現在「ふれあいモール」と呼ばれる歩行者路になっており、そのまま「1番街商店街」へ続いていた。

(1番街商店街西口でゆるキャラ「こにゅうどう」がお出迎え。)

たぶん後輩の目的地はこの近辺だったのだろうか、たくさん居酒屋やカラオケ店が立ち並び、夜遅くまで賑わっている光景は私もよく目にしている。駅から3分圏内でアクセスも抜群だ。

(「文化の諏訪駅」と書かれた看板は、ここに駅があった名残。)

1番街商店街は天井がアーケードになっており、社会人になってから様々な場所に移り住んだ私から見ても、地方都市でこの規模の商店街はなかなかお目にかかれない。

線路跡を進むとある眼鏡店に「文化の諏訪駅」と書かれた看板を発見。「諏訪駅って何なん?」と思ったが、1956年(昭和31年)までこの辺りに「近鉄諏訪駅」が存在していたことが理由だ。

現在は近鉄四日市駅が起点になっている近鉄湯の山線およびあすなろう鉄道(旧近鉄内部線八王子線)も諏訪駅に乗り入れ、四日市の中心駅的存在だったと思われる。

(スーパーサンシ1番街店。64年前まで駅があった面影は無し。)

今ではその時代を知る人も本当に少なくなったが、私は祖母(88)から諏訪駅の存在は何度か聞いていた。なんでも現在の近鉄四日市駅に比べ構内が狭く、また商店街のど真ん中にあるため、駅前は乗降客や当時はリヤカーを引く人などで混雑していたらしい。

1947年(昭和23年)に長野から集団就職でやってきた祖母は、人と店の多さに目が回ったそうだ。当時の娯楽と言えば映画鑑賞で、休みの日には同僚と映画館巡りをしたとも聞いた。

(旧東海道のと交点)

線路跡は旧諏訪駅を過ぎてすぐに旧東海道(表参道スワ前)と交差する。古くから四日市の中心だった場所で、私も小学生の頃は自転車でおもちゃやゲームを買いに通った記憶がある。でもいまはシャッターの閉まった店が目立ち人通りも少ない寂しい場所になってしまった。

近鉄四日市駅からこの地点まで、徒歩で約7分。歩くと少し距離が感じるこの地点は、駅前に多かった飲食店や居酒屋よりも、青果・衣料品・家電など生活に根差した店舗が多く、日用品を買う商店街と言える地域だった。

(アーケードの東側終点、出口には国道1号線)


しかしまだまだ遠い「JR四日市駅」

「諏訪駅」や懐かしい商店街の思い出に浸っていても、もう1つの四日市駅はまだまだ先で、線路跡を東へ進んだ。

(1号線を渡ったあたりからアーケードは無い)

このあたりからぐっと人通りは減り、車や自転車が行きかう裏路地になってしまう。

(四日市市役所を南に見ながら)

まもなく四日市市役所が見えてきた。恥ずかしながら市役所の場所は知っていても用事が無く中へ入った記憶は数回しかない。昭和の終わり頃までは市民公会堂や旧市役所庁舎もあったようだが、いまは駐車場などに代わってしまっている。

(三滝通りを通過)

JR四日市駅は開業当時から場所を変えていないので、現近鉄四日市駅から10分以上歩いた時点でも、かなり離れている印象を感じた。

(右手に善光寺四日市別院、左手は廃墟マニアに話題だった三和商店街)

TVで紹介された影響で話題になった三和商店街(現在立ち入り禁止)のあたりまで来ると、JRの列車特有の「ピーッ」いう汽笛が聞こえる。またディーゼル車両も多く走るので「ブゴゴゴゴ・・・」というエンジン音も聞こえてくる。

(右へカーブを切ると、JRの駅前が見えてきた)

この地点を当時は「善光寺カーブ」と呼び、近鉄は当時の国鉄「四日市駅」と同じ場所に駅を設けていた。

つまり・・・昔は同じで、今は分かれてしまったのである。

(現在のJR四日市駅舎は1960年昭和35年に完成)


旧線路跡ともう1つの四日市駅

旧近鉄名古屋線は、現在の近鉄四日市駅がある手前からほぼ90度カーブをして東進し、商店街をかすめてまた90度カーブをきる。電車というものはカーブではスピードが出せないため、区画整理や近鉄の方針で線路の切り替えが行われ、現在のような別々の場所に同じ名前の駅が存在する形になったようだ。

近鉄四日市駅から約1km強。徒歩では15分~20分程度かかる感覚だった。

(駅構内の跨線橋も近鉄が分かれてから完成したもの)

小さい頃の私にとって、JR四日市駅のある地区は異世界で、当時は遮断機が手動式の踏切があったり、JRでしか見られない貨物列車が興味の対象だった。たまたまJR駅の近くを訪れた際、母が眼を離した隙に改札をくぐって中に入ってみたことがある。その時見た跨線橋はひどく古く、そして怖く「これ以上進むと元に戻れないぞ」と語りかけてきて?逃げ帰った記憶がある(笑)。

(跨線橋の階段には完成年のプレートが)

2階建てながら横に長いことに圧倒される駅舎は、大部分が現在は使われておらず、駅前広場も正方形ブロックの隙間から芝?雑草?が生えている・・・自然の逞しさを感じるシーンだ。

普段はがらーんと人通りも無い駅前広場も、この日はたまたま「四日の市」と呼ばれる”毎月4日に開かれる朝市”が実施中。

地元のパン店、ウワサのカレー店、小物アクセサリーなどの販売や面白いものでは青空の下でクイックマッサージの施術も受けられる。

(駅前広場の様子、たまたまこの日は賑わいが)

後輩はこの駅前に立った時、どのように感じたのだろうか?

私「絶望した?」

後輩「でも四日市駅って書いてあるし煙突もたくさん見えたし」

私「でどうしたん?」

後輩「同期がメールで住所をくれたんでタクシーで行こうとしたんです」

私「タクシー?おらへんやろ」

後輩「そうですよ!!どうなっているんですか!!」

 

四日市を訪れる際はご用心を!


近鉄四日市駅

住所:三重県四日市市安島1-1

JR四日市駅

住所:三重県四日市市本町3-85

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