美術教員という職に就いているが故、もちろん大学課程で必須科目を履修して教員免許を取得している。
通信制の大学でその一連の課程を終えたため、美術に関する多様な分野の単位をレポートとテストで取得していったけれど、その中で特に苦手意識があったのが歴史分野。
西洋美術史も日本美術史もなかなかギリギリに単位取得した記憶があり、今も歴史面の授業を考えるときは調べに調べて準備しなければ教壇に立つ自信が無い。
そんな事を考えていると、今回の三重県総合博物館(通称:MieMu)今回の展示は仏像だという。正直前述のような背景があるため文章にするには苦手意識はある。レポートもどういう切り口で書いていこうかと、なかなか筆が進まなかったりした。
でも結構仏像の見方が分からない人は少なくないのではないか、、、?
これはもう一目見てときめいた瞬間を独断と偏見で記録をしていこう、多分歴史が苦手な人は少なくないはずだから。なんて自分の不得意を肯定しながら館内に足を踏み入れてみた。
ハニワなほとけ – 誕生釈迦仏立像二体(いなべ市、津市)
まず、入ってすぐに出会う二体の小さな仏像。「はーい皆さんこんにちは!」なんて出迎えてくれているようにも見える愛嬌がある。また経年の摩耗からかハニワのようにも見えて単純に可愛いと感じてしまう。
1つは個人蔵との事から、代々大事にされてその形になったのではないかと想像が膨らむ。
着物の襟元に忍ばせた仏様を日々崇めて1日の生業に力を尽くした人々の姿が目に浮かび感慨深くなる。
これ何だ?ナゾに満ちた仏のかけら – 鳥居古墳出土押出仏(津市)、夏見廃寺出土螺髪(名張市)
仏像は頭がブツブツでだらんとした服を着ていて体型はちょっとふっくらしていて。典型的なイメージはそういったところだと思う。でも実は髪型はブツブツだけではないし、マッチョな仏像もあるし服装も意外とバリエーションがある。場所や階級、役割で変化があるらしいのだ。
また、御仏の表現方法も彫刻だけではないというのが津市の鳥居古墳から出土した押出仏でわかる。溶かした銅を雌型に押しつけて形成されたのは、一見細かく煌びやかな文様。でも拡大してみるとたくさんの仏様が表情穏やかに鎮座している。
また、一見大きな鉄砲玉のようなこちらの石。名称に螺髪が付くことから仏様のあのブツブツの一つ一つだということがわかる。螺髪は髪の毛一本一本を巻き上げて作られるとの事から、きちんと螺旋状の彫りが入っている。細部にまでこだわる仕事は仏様へ敬意を払う意識が見える。信仰心から丹念に作り出されたものは時を超えて更に人の心を動かす、というところか。
仏界のハットコレクション – 十一面観音立像(津市)、聖観音菩薩立像(伊賀市/廣禅寺)、愛染明王坐像(伊勢市/世義寺)
そして目に留まるのはユニークな頭部の装飾。たくさんの顔や神々しさを放つもの、犬かと見紛うものまで、現代社会で被っていたら注目度が半端ないコレクションが揃う。
もちろん各装飾にも意味があり、十一面観音立像は苦しんでいる人をすぐに見つけるためのお顔を、聖観音菩薩立像は出家前の王子時代の釈迦の装束から煌びやかな頭部飾りを、また愛染明王坐像は苦難に屈しない強さの象徴として獅子の冠をかぶる。
それぞれの個性も昔の人の想像力から湧き出て形にできたもの。その技術には恐れ入るばかり。パリコレに出品するプレタポルテも真っ青のクリエーションがここにある。
仏様の足元で思う自分の小ささ – 十一面観音立像(多気町/近長谷寺)
大きすぎる、近くにいるとひしひしと感じる圧。中央部に展示されるのは一際目立つ仏像のタペストリー。印刷されて白黒になった近長谷寺の十一面観音立像は6mを越える背丈に穏やかな表情で人間を見下ろす。
こんなに大きいんだなと、間近で背比べできるから感じる凄み。あとは厚みを表した等高線が織り成すモアレが美しい。
快慶作の二体が松阪市内にあったなんて – 阿弥陀如来立像、地蔵菩薩立像(松阪市/安楽寺)
鎌倉時代を代表する仏師・快慶は生没年不明の謎多き人。でも詳細で美しい造形を施す技の持ち主から「慶」を名前にもつ仏師たちの流れ「慶派」を代表する人物。そして奈良にある東大寺南大門の金剛力士立像の作者としても知られる。その人が作ったというのがわかったのだからニュースにもなる。
二体とも着衣に布の重みを感じられながらも軽やかで動き出しそうなお姿。命が入ったというのはこのような像の事なんだと思う。
当時の人からしたら今にも語り出しそうな御仏に祈りを捧げるのは自然な事で、疑う余地も無いぐらいだったんだろう。それ程に何かを信じさせる圧みたいなものが感じられる。
仏と仏のオシャレ座談会 – 釈迦如来坐像(鈴鹿市/南陽寺)、地蔵菩薩坐像(松阪市/伊佐和神社)
隣同士で鎮座する二体、キラキラ眩しい釈迦如来坐像とシックに仕上げた地蔵菩薩坐像。
盛りに盛って目立った者勝ち?それとも衣に施した繊細な模様で上質さをアピールする?そんな話をヒソヒソと話していそうなお姿は何だか見ていてほっこり。
でも地蔵菩薩の内側に子どもの絵本まで隠されていたという見えないオシャレにはなかなか叶わない。
いつでも地域の弱い者の立場の味方になってくださってる、という見た目だけではわからない安心感を与えてくれる存在だったんだろうという考えに及ぶ。
癒しの笑み、円空仏 – 大日如来座像(津市)、薬師如来立像と阿弥陀如来立像の両面仏(菰野町/明福寺)、聖観音立像(志摩市/三蔵寺)
江戸時代前期に12万体以上の仏像を彫ったともいわれる円空の作品も三重にはある。素朴なようで考え抜かれた簡素な意匠は、海外でも高い評価を受けた、そんな円空仏たちも今回は集合している。
表情はどれもふんわりと笑みを浮かべ、気取らない雰囲気に親しみがわく、そんな仏様たち。
江戸の庶民からも愛でられ、大切にされたのではないかと想像できる。
中でも両面仏は全国的にも珍しい一品。普段は片面しかみられないものの今展示では背面に鏡が設置されているから両方のお顔を拝見することができるなんて円空ファンにはたまらない仕掛け。
現代仏像守護話 – 和歌山県の取り組み
正直、一番印象に残ったぐらいいい取り組みだと思った。
和歌山県立博物館を中心として地元の工業高校や大学と連携して歴史的価値の高い仏像の「お身代り」を製作しているという。
貴重な仏像、盗難や災害による損壊の心配が付いて回るのは容易に想像できる。
そこで、3Dプリンターを用いて精密にそれらを再現し、リアルに彩色して寺院等に納めるのだという。
本物の仏像は同博物館に保管され劣化・紛失を防ぐ、という塩梅。
若い人たちも巻き込んで歴史を紡ぐのは地域の誇りや文化の継承に直に繋がる。仏像の展示でソーシャルデザインの一例を知るなんて思ってもいなかった。これから日本全国に広がっていってほしい取り組みだと感じた。
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そういえばこんなに仏像がひしめく空間もなかなか無い。そして一体一体間近で、場合によっては360°、そして秘仏を至近距離で眺められる機会も。三重の各地からMieMuにお越しになった仏の皆様は私たちにいつも以上に詳細を見せてくださる。
仏像の世界に浸ったあと訪れたミュージアムショップもなかなかに味のある仏グッズを販売していた。
MieMuを後にした時、気持ちはなんだかいつもより穏やかになったような気がした。これも70体を越える仏像たちのなせる技なんだろうか。
見た目重視で仏像について書くなんて申し訳ない気持ちになりながらも、仏様たちの可愛い表情を発見できた気がして以前より愛着が湧いた時間だった。感謝の意の中で南無阿弥陀仏と小さく唱えてみた。
hiromi。OTONAMIE公式記者。三重の結構な田舎生まれ、三重で一番都会辺りで勤務中。デンマークに滞在していた事があるため北欧情報を与えてやるとややテンションが上がり気味になる美術の先生/フリーのデザイナー。得意ジャンルは田舎・グルメ・国際交流・アート・クラフト・デザイン・教育。