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三重の廃線跡を巡る旅(1号車) 「なんで西桑名?」桑名駅より東にある西桑名駅のナゾ

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子どもの頃の記憶。
四日市に住んでいた私が近鉄電車に揺られて名古屋へ行くことは、その目的よりも「あした電車に乗るんや」という過程が前日眠れなくなるほどワクワクした特別なイベントだった。
途中の桑名駅では近鉄ホームと隣合わせにJR線ホームやそこに停まる電車が見え、さらにその向こう側は赤とオレンジ色の小さな電車が目に付いた。そういえば同じ色の小さな電車が、わが街四日市でも走っていることに気づき「え~桑名でも同じ色の電車が走ってるんか」と思って親近感が沸いた。

数年後、大学生になり毎日名古屋まで電車に乗るようになった一方で、とくに沿線風景にワクワク感を失っていた。そんな2003年のある日、小さな電車の走る路線は近鉄から四日市に本社のある三岐鉄道へ移管される。

「廃止されへんかったけど、これからも大丈夫なんかな?」という将来を不安視する地元の利用客が桑名駅前でインタビューされているシーンを夕方のテレビニュースで観ていた。

私の耳に「以上、三岐鉄道へ移管された北勢線西桑名駅から中継でした。」と話をまとめるアナウンサーの声が入ってきた。

えっ・・・西桑名って何なん?私がいつも見ていたあの小さな電車は駅の東側にいるはず。

でもそんな疑問から発生したナゾを当時は調べる手立てがわからず、次第に興味みも無くなってナゾ自体も忘れてしまってしまった。

それから16年経った2019年(令和元年)10月。私は西桑名駅前にいた。


(三岐鉄道北勢線西桑名駅の改札)

どこからともなく「あの時のナゾを解くのです!」と指令が頭に降りてきた私は、既にスマホで西桑名駅の由来を調べていた。文明の利器によって、北勢線の西桑名は、かつて中間駅で現在のような始発駅ではなかったことがすぐに判明。ウィ〇ペディアには感謝である。


ネットの情報と街の案内看板と自分の勘を頼りに廃線跡を辿る

(現在始発駅の西桑名駅に途中駅だった面影は無い)

現在の「三岐鉄道北勢線」が2003年まで近鉄の所有路線だったことはまた記憶に新しい。歴史を遡ると1912年(大正元年)に「北勢鉄道」という名称で開業していたことがわかった。創業時の社長は地元の有力資産家だった松本長蔵氏。彼についても調べてみたらいろいろエピソードがあるのだけど、また時間のあるときに取り上げたい。

(西桑名駅前に広がる桑名駅バスターミナル)

開業時の西桑名駅は、「大山田駅」と名乗っており、「楚原駅」との間を結んでいた。つまり開業時は現在と同じく始発駅で、1915年(大正4年)に0.7km東にある「桑名町駅」まで延伸開業した際に途中駅となる。その後の1931年(昭和6年)に駅名を「西桑名駅」へ改名したまま現在も桑名駅とほぼ同じ場所にも関わらず再改名はしていないようだ。今回はその0.7kmだけの廃線跡を辿ろうと思う。

(桑名駅前にある市中心部の案内地図看板)

ネットから分かった廃線跡と街中にあった案内看板から、ルート(黄色い太線部)を予測してみた。46年間北勢鉄道の始発駅だった「桑名町駅」は1948年(昭和23年)に「桑名京町駅」へ駅名変更し1961年(昭和36年)まで存在していた。廃止理由は国道1号線に存在した踏切で発生する渋滞が問題となったためとされている。名四国道こと国道23号線が名古屋から四日市まで開通したのが1963年(昭和38)で、当時は国道1号が名古屋と三重を結ぶ唯一にして最短のメインルートだったこともあり、高度成長とモータリゼーションの世相から致し方なかったのかもしれない。

(駅前から進むと国道1号線がすぐ見えてくる)

現在の駅は、近鉄やJRの施設と並行だが、当時は現在の駅ホーム手前から大きくカーブをして東へ向かっていたようだ。西桑名駅の改札口や駅前バスロータリーからは全く気が付かなかったが、西桑名駅と国道1号線の距離がとても近いことに驚いた。

(アピタ桑名店の北側の道路が線路跡)

国道1号を渡るまで4車線だった線路跡は、中央線の無い生活道路になる。ただし昔も今も北勢線の線路幅はナローゲージ軌間(762mm)なので、普通自動車が対向可能な道路なら十分な広さだ。

(桑名市常盤町周辺の線路跡道路そろそろ目的地も近い)

廃線跡の道路には、58年前に鉄道が走っていたという痕跡はまったく見られず残念な気持ちのまま、あっという間に目的地まで到着をしてしまった。

(桑名京町駅の跡地は駐車場)

北勢線の本当の始発駅である桑名京町駅跡地は、現在「京町駐車場」という街中にある普通の駐車場になっていた。

(駐車場前から西桑名駅方面を眺める)

来た道を振り返っても人も車も居ないし、既に駅前の喧騒も感じないが、地図アプリ上で調べたら0.7kmを移動してきたことは間違いないようだ。果たして「ここは桑名の中心なのか?」という疑問が残り、もう少し散策をしてみることにした。


桑名の中心「京町」にあるものとは

駅跡地の駐車場の前にはまったく雰囲気がなかったが、その突き当りを左へ曲がるとここが桑名の中心だった証拠が見つかった。しかもたくさん!!

(桑名寺町通り商店街の南口)

まずは寺町通り商店街。桑名駅から少し離れた場所にこんな活気ある商店街があることを恥ずかしながら知らなかった。また名前の通り周辺に寺院が多く、それに伴って仏壇仏具店も多くみられた。

 

(かつて桑名市役所があった場所は京町公園になっている)

この京町地区には1973年(昭和48年)まで桑名市役所もあり、まさに桑名市の中心といえるエリアだ。逆に当時の国鉄や近鉄桑名駅は、この場所からみると町の郊外で、まさに「西桑名」と当時の人たちは呼んでいたのだろう。

(桑名市博物館の玄関)

桑名市博物館は前身の文化美術館時代を含め約50年の歴史があり、江戸時代の武具など展示される機会が多いと聞いた。近年は若い女性を中心とした刀剣ブームもの影響で来訪者が多いらしい。

(火の見櫓と消防分団がある場所は三重県電話発祥の地)

また博物館の向かいには「三重県電話発祥の地」という石碑があり、ここにあった電話局から1899年(明治32年)に三重県で初めての電話通信が行われたモダンな場所でもある。

(石取会館は旧四日市銀行桑名支店として建てられたもの)

少し入ったところには、近現代建築が好きな私の心を鷲掴みにするレトロビルディングを発見。現在は石取会館になっているこの建物は、1925年(大正14年)に建てられた四日市銀行(現在の三重銀行)桑名支店で、金融の中心地でもあったようだ。

(仏壇仏具店以外にやはり時雨店もちらほら)

西桑名駅への帰途は、寺町通りを通り抜けることにした。私の地元四日市にも駅前周辺に商店街があるが、後継者がいなくてシャッターが閉まったままの店舗やマンションへの転換が目立つ。寺町通りのように青果店など生活に根付く店舗が営業を続けているのはとても興味深く懐かしく感じた。

時雨店の前では、幼稚園の時に友達と交換したおにぎりの具に時雨の佃煮がはいっていて「いっしょの具にして!」と母にねだって以来、しばらく時雨おにぎりにハマってしまったことを思い出した。

(寺町通り商店街の北口)


わずか1Kmのライバル路線「桑名電軌」

(八間通り北寺町あたり)

寺町通りの北口に接する八間通りには「桑名電軌」という市内電車が、「桑名駅前」から「桑名本町」の区間を1927年(昭和2年)から1944年(昭和19年)まで運行をしていた。その営業距離は僅か1.0kmながら北勢線に平行しており、ライバル路線の関係だったのだろうか。

(桑名電軌の終点と思われる地点には歌行灯本店がある)

ただそのライバルが17年間の営業という短命に終わった理由は、員弁・大安方面につながる北勢線と違い単独路線として誕生し、今後の路線拡大を夢見ようにも戦時中の行政指示によって強制廃止となってしまったようだ。営業が順調であれば桑名市内から四日市市北部にかけて網の目のように路線網を完成させる計画であった。

北勢線と違い、こちらは路面電車なので八間通りの路面や歩道などに遺構どころか雰囲気も残っていないのも残念だ。

(桑名城の外堀には10月と思えないような日差しが)

この場所を訪問する前にこんな短距離を2路線が平行しているだなんで想像出来ず、桑名電軌の存在を知った際は、西桑名より阿下喜方面は北勢鉄道で、市内電車区間を桑名電軌が管理していると誤解していた。両社は別々に鉄道を運営し、近いながらも別の場所を通っていたことが現地に行くとよく理解ができた。

 


調査を終えて

まず16年来のナゾが解けたことと、古い桑名の中心が発見できて大変有意義な時間だった。だけど当時の人たちの記憶が鮮明な時に、昔話が聞きたかったという悔しさが残った。街には歴史があって、たとえ短い期間でもそこにあった記憶は、いつの日かの未来に役立つし、次の世代へどのように遺していくか、私の世代も考える責任があるのかもしれない。

そういえば、今日は廃線跡を辿ったので、電車や線路をあまり見ていない(泣)

次回は現役の電車も絡ませたいのでご期待ください。

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