ホーム 01【食べに行く】 かわいい&おいしい!津市の老舗和菓子屋の夏(じゃなくてもおいしい)スイーツと、この町の話。

かわいい&おいしい!津市の老舗和菓子屋の夏(じゃなくてもおいしい)スイーツと、この町の話。

ピンク、オレンジ、水色。並べるとなんともさわやかで鮮やかで、どこかなつかしさもある。思わず「かわいい!」とシャッターを切ってしまった。

商品名は「冷やし葛餅バー」。津市内で長い歴史を誇る和菓子屋のひとつ「清観堂」で販売されています。一見するとアイスのようだけれど、実は葛餅(くずもち)でできているのです。葛餅とは、水まんじゅうのあんこのまわりのぷるぷるした生地を少し固くしたもの、と言えばおおかた伝わるでしょうか。アイスクリームではないので、解凍しても大丈夫。むしろカチンコチンより数分おいたほうがおいしい!「小さな子どもでもこぼさずに食べられる」と喜びの声も上がっています。

口にくわえると、歯が一瞬キンと冷たくなってとろんとした冷たいものが舌に乗る、そしてきもちの良い甘さがやってくる。
「おいしい」と思わず言葉がこぼれる。もしこれを洋菓子店が作ったら、典型的な砂糖の甘さが目立つものになってしまうかも、しかしそこは和菓子屋、すっきりとした日本人の舌に合う「おいしい甘さ」、なんだよね。
吉野葛を使っていて噛むとやわらかくてもっちり。何にも例えがたい不思議な食感なのです。テレビや新聞でも紹介されているので、ご覧になった方も多いのではないのでしょうか。

始めは、お客さんから「水まんじゅうを凍らせて食べている」と聞いたことから始まったそうな。そこからあんこの代わりにフルーツにしてみたり、いろんな改良を重ね、最終的にはアイスキャンデーからヒントを得て現在の形になったそうです。

陳列された商品をながめれば、この町の人間ならだれもが一つは目にしたことのあるものばかり。ああこれおばあちゃんの家にいつもあったな、などふとした思い出に結びつく。普段何気なしに食べている清観堂の和菓子は、たしかにこの町の人の記憶の一部なのだなあ、と高校生ながらに思います。

「忘れたころに食べたいと思える味を作っています」と、インタビューさせていただいた前川謙二さん(取締役副社長)はおっしゃる。きっとだれにでもそういうものはあるよね。昔やたら好きだった駄菓子、子どものときよく食べた安いアイスクリーム、バイト終わりに食べたあの店のしょうゆラーメン、とかそういうもの。清観堂の和菓子は、この町の多くの人にとってのそれだよね、きっと。「久しぶりに和菓子買いに行こうかな」と思ったあなた、気が変わらないうちに車のキーを手に取ってくださいね。

清観堂は、東丸の内、松菱の裏あたりにあります。ちょうど私たちがいつも行くお祭りをやるところですね。しかしそのお祭りでは少し困ったこともあるらしく、

「そこの道を通行止めにするでしょう。そうすると車が入って来られないものだから、お客さんが『今日はちがうとこにしとこか』となって、来なくなる。そうするとねえ、『もうここでええか』となってその先も来てくれへんのですわ」

そして売り上げもガクッと落ちてしまう、と仰った。

清観堂はなによりもリピーター、つまり地元の人を大事にしている。「床屋と和菓子屋は浮気されない。」と、取材をさせていただいたおっしゃっていて、確かに、と思ったな。たとえば、ケーキを買うときに絶対にこのケーキ屋しか行かない、というのはないけれど、和菓子はそうではないことがある。

砂糖が嗜好品だった明治期に創業。

前川さんの声と目に「誇り」みたいなものが見えた気がしました。きちんとこだわりを持ち、地域に愛されていると自覚を持った方のそれだと思いました。

清観堂は材料にこだわっているそうです。砂糖も果物もほとんどが国産で、わらび粉は、宮崎の農家さんから福岡で精製されたものを。小豆は十勝と芽室(めむろ)(どちらも北海道)から。イチゴは県内に多く流通する「あきひめ」では糖度が高く和菓子には合わないため、酸味が和菓子に合う「かおりの」という種類を使っているそうです。こんなふうに全国から選りすぐって集められた食材で清観堂のお菓子は作られている。このこだわりあってこそ美味しいし、長く愛されているんだよね。

しかし和菓子を買う年齢層がどんどんと高くなっていく上、この周辺のひと気は少ない。むかしはたくさん人が歩いていたのかと思ったけれど、聞いてみるとそうではないらしい。2軒あった呉服屋さんが、世間が洋服へ移行していくのに耐えきれず潰れてしまったのも大きかったそうだが、前川さんは中学生のとき、学校の先生に「お前んとこのまわり、えらいさびれてしもとるやないか!」と言われたことがあるそうですが、それがすでに50年ほど前のこと。私はなんとなく、自分の親の世代のときくらいは賑わっていたのでは、と思ったが、祖父と同じ世代の前川さんがそうおっしゃるので驚いた。

子どもは減るし、出ていく人もいる。そもそもの話、私も含めこの町の人は地元愛が少ない気がする。
「ここには何もない」
「伊勢や四日市ならともかく」
そんな言葉を聞き、私も山ほど吐き出してきた。
県外の人に「津でおいしいものって何?」
と聞かれ、よく考えもせずに
「えーなんもないですよー伊勢まで行かんと」
と答えてしまったことがある(今は死ぬほど後悔している)。

店内にあった昔の津の地図。

昔戦争があって、この町は空襲に遭った。お城も、それを囲んでいた立派なお掘りも、町並みもなくなって、焼け野原になった。この町としての歴史や文化を感じさせてくれるものは、残らなかった。京都の町並みのように、「これが私たちの町です」と象徴してくれるものがないんだよね。

私たちの町には、アイデンティティがない。

でも、外の人から見たら価値があるものはきちんとあるのです。

「エモい」という言葉をご存知でしょうか。「感情的」を表す「エモーショナル」から派生した言葉で、主には「なつかしい」とか「なつかしい雰囲気」を表す言葉です。たとえば、昭和チックな看板、お寺でアイスをかじる制服の高校生、なんかが今の10代、20代、30代からSNSを中心に「エモい」と絶賛されます。それに乗っ取ると、このひと気のない町も、さびれた感じを含め「エモい」の対象なのです。松尾芭蕉が物の不足の中に美を見出したように、直接的な華やかさではないものが多くの層にウケているのです。「ふーん?」と思われるかもしれないけれど、ある層で「エモ」の勢いはすごいし、都会で育った私の親友は私より津のおいしい焼肉屋さんを知ってるし「田舎好き!津市楽しいよ!」と言ってくれる。なんだかこの町を好きになれそう、と思う。

私はついこの間まで、ラクレットチーズを食べるには東京の赤羽へ行かないといけないと本気で思っていたのですが、津新町にあると知ってとても驚いた。今度行こうと思う。

何かあるわけじゃない。でも何もないわけじゃない。

ここにあるものが都会にもあるのかどうかなんて知らない。同じようなもの、あるかもね。でもそれは全然問題じゃなくて、この町にある、ここの人たちが好きで愛着をもっているもの、なくなればさみしくなってしまうものが確かにあるから、それを大事にしたいよね、と考えたりします。

この町を外からも、内からも、もう少し見たい、知りたい、という気持ちがあります。この町を歩いていると、ときどき映画を撮りたいという気持ちに駆られます。
入ってみたいけれど正体不明のなんだかあやしいお店、色の変わったポスターの美容院、おいしい和菓子、いろいろ見るとなんだか愛着がわく気もする。今度一人で町を歩こうかな。

というわけで、そろそろ残暑もやわらぐ中、スマホをカメラモードにだれかと町を散歩してみる、そして帰りに清観堂でおいしいお菓子、なんて休日はいかがでしょうかね。

 


 

清観堂
津市東丸之内20-1
tel 059-227-6388

 

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