三重県に生まれ育った私は小学生のときに「海の暮らし神島、山の暮らし飯高」みたいな内容を習った記憶がある。
戦後日本を代表する作家、三島由紀夫の代表作「潮騒」の舞台になった神島。
伊勢神宮の外宮と内宮、そして夫婦岩を地図上で線を引くと二等辺三角形になり、その底辺の中心くらいから頂角に直線を引き、地図上でその線をまっすぐ引けば、富士山に当たる。
さらに日本を二分する日本最大級の断層帯である中央構造線は、九州東部から和歌山、そして松阪市の飯高から三重県に入り伊勢、そこから渥美半島を抜け、群馬県に繋がる約1,000kmの大断層帯。
中央構造線近くには諏訪神社や鹿島神宮など有名な神社仏閣が多く、伊勢神宮や夫婦岩の近くも走るとされ、鳥羽市の離島の近くを抜けている。
神島もその近くだ。
専門家ではないので、富士信仰(山岳信仰)と伊勢神宮(神道)の関係はわからないが、どちらも自然崇拝から派生しているのは違いない。
神宮(内宮)は日本の総氏神であり、太陽神である天照大神が鎮座している場所。
そして神島には南北朝時代の太陽信仰であるゲータ祭りが残っている(2018-2019は中止)。
そんな伊勢志摩は最近でこそパワースポットと呼ばれているが、その言葉だけでは語れ切れないとても神秘的な場所だと思う。
神が宿る島といわれる神島に向かった。
自然は美しい。だが少し怖さも感じた。
近鉄鳥羽駅から歩いて数分のところにある鳥羽マリンターミナル。
そこから定期船に乗り答志島を経由して約40分で神島に到着する。
観光船ではないので飾り気はないが、島に暮らす人が生活品を運んでいたり、通勤や通学をする人もいたり、私は暮らしが垣間見られるそんな定期船が好きだ。
定期船が進むごとに、海の青色は深くなっていく。
見えてきた。神島だ。
神島は伊勢湾口に位置し約300人が暮らす周囲約4kmの小さな離島。
今回はカメラをぶら下げ、ぐるりと周囲を約3時間かけて巡ることにした。
漁村独特の細い路地を歩く。
レトロな雰囲気でまるでタイムスリップしたような感覚になった。
まずは古墳時代から室町時代の神宝が秘蔵されている、八代神社へ向かった。
本殿は神明造り。伊勢神宮のように式年遷宮も行われているとのこと。
八代神社は明治期に神島にあったいくつかの神社が合祀。
主祭神は綿津見命。
神話ではイザナギとイザナミの8番目に産まれた海を司る神だ。
神社には子どもたちが作った「子どもおみくじ」があった。
大吉=おっとめでたい
吉=じょうとうや
凶=はざん
あたたかい気持ちになり、八代神社を後にした。
木々の間から冬の柔らかな木漏れ日。
小道を登り、日本の灯台50選に選ばれた灯台に到着。
雲と海が近い景色を眺めながら休憩して次に向かったのは、ずっと行きたかった監的哨跡へ。
まるで亜熱帯に生えるような木々に囲まれた小道を下る。
監的哨跡は5度映画化された潮騒のクライマックスシーンの舞台。
コンクリートが剥き出しの建物に入ると、まるで直島にでもありそうなアート作品の中にいる気分になった。
屋上からの絶景に、思わず息を吞んだ。
自然は美しい。だが少し怖さも感じた。
矛盾しているように聞こえるかも知れない。
でも自然崇拝が根付く島国日本に生まれ育った私にとって自然は神々しく、畏敬と畏怖を同時に感じたのは、自然に神が宿るという古からの教えが身体に染みついているからだろう。
そして日常では接することが少ない厳しい自然環境に身を寄せたとき、改めて私の中で何かがそう感じている気がした。
しばらく絶景を眺めたあと、カルスト地形を観にさらに小道を下った。
空に向かって、そびえ立つ。
カルスト地形は神島の観光パンフレットやインターネットで何度も観たことがあった。
失礼だが「白い巨大な岩」くらいにしか思っていなかったので、それほど期待はしていなかった。
カルスト地形が近くなると風が強くなってきた。
目の前に表れた白い巨大な岩に、私は歓声を上げた。
青空と深い青色の海に、白い巨岩のコントラスト。
カメラの腕がない私は、上手くこの感動を写真に収めることができなかった。
ぜひ晴れた日に肉眼で観るのをおすすめしたい。
白い石灰岩は気が遠くなく時間をかけて風や雨で浸食され、まるで空に向かってそびえたっているようだ。
カルスト地形を後にしてスタート地点に帰る道中、乗船まで時間があったので集落を散策してみることにした。
カラフルな家がぎゅっと集まっている集落。
写真で切り取れば、一枚の絵になる。
漁村でよく見かける手書きのロゴマークや看板など。
なんだか神秘的なマークもあった。
海沿いの道にあった石碑のようなものに、小豆が供えられていた。
これは何だろうとしばらく眺めていると、島のおばあさんが通りかかったので聞いてみた。
おばあさん:簡単に云えば、神さんみたいなもん。
これは「コウジンさん(荒神?竈神?)」といい、正月や祭り、初漁など何かの節目の時に、小豆や米などをまずは供えてから、物事を進めると教えてくれた。
暮らしのなかにそういった祈る文化が根付いているのも、離島や漁村の暮らしの魅力だと感じた。
定期船乗り場の待合室に戻ると、一人の神島に暮らすというおばあさんがいたので少し話しをさせてもらった。
私:おばあさんにとって、神島の好きなところはどこですか?
おばあさん:なんもないところやけどなぁ。監的哨跡の屋上から観る景色はキレイです。
今回私は監的哨跡も巡ったのだが、そこへ至る道中は結構なアップダウンのある小道だった。
恥ずかしながら運動不足の私の膝は笑っていた。
おばあさんは年に1回程度、お弁当をもって監的哨跡へゆっくりと時間をかけて行き、絶景を愉しむという。
三島由紀夫は、それを「浄化」といった。
帰りの船に乗り、改めて島の斜面に張り付くように建つカラフルな集落「神島」を眺めた。
今回初めて神島に来て、まるで時間の巻き戻しボタンを押したかのような世界観が印象的だった。
私は必然や偶然という主観を持つことで、何かに耐え忍び、何らか法則を見つけ、それに縛られながら生きている。
しかし一人の人間のそんな概念を超越したところに自然があり、自然のなかにこそ大切な法則がある気がした。自然界にあるものは全て、常に一定のリズムで変化をしている。
今回神島に訪れ、私は海と空に心を洗われた感覚になったのは、人も自然から産まれたもので、自身の無意識のどこかでダイナミックな自然を欲していたのかも知れない。
神島を訪れた三島由紀夫は、次の感想を残した。
「映画館もパチンコ屋も、呑屋も、喫茶店も、すべて『よごれた』ものは何もありません。この僕まで忽ち浄化されて、毎朝六時半に起きてゐる始末です。ここには本当の人間の生活がありさうです。たとへ一週間でも、本当の人間の生活をまねして暮すのは、快適でした」引用:wikipedia
村山祐介。OTONAMIE代表。
ソンサンと呼ばれていますが、実は外国人ではありません。仕事はグラフィックデザインやライター。趣味は散歩と自転車。昔South★Hillという全く売れないバンドをしていた。この記者が登場する記事