中田島ギター教室
近鉄櫛田駅近くに妙な看板がある。「ギター教室」と書かれているが、少し色あせ、ノスタルジックなおもむきだ。とても怪しい。
おばちゃまのような方が「Tike it easy! 」と語りかけ、温泉のような効能が書かれている。
果たして看板のような人が出てくるのだろうか。このセンス。この続きを読むのか、この踏切の向こうに行くのかはあなた次第だ。
ねぇあなた、
中田島ギター教室ご存知かしら?
「そんなこと、どうでもいいじゃないか。」
教室に入っていきなり目に入るポスターたち。仕事をする気があるんだろうかと思わせるキャッチコピーだ。
「このポスターは狙って作ってるんですよね」と聞くと。「まあな」、「適当」と返してくる。どうもこの曖昧でいい加減に聞こえる「適当」という言葉をモットーとしているギター教室のようだ。
そもそも記事にするきっかけは、毎年9月の第一土曜に開催する音楽イベント「アコースティッカル」で、この教室がイベントモデルとなった。例年モデルの記事を書くのが恒例になっている。そして今回、半信半疑のまま取材を進めていくが、果たしてどうなるだろう。
講師のルーツを探る
教室では中田島先生と呼ばれいる。本名を聞くと、中田島砂丘と言い張る。「それは静岡浜松の砂丘の事ですよね」と私は心でつぶやく。真面目に聞いている自分の無力さを感じるが、何か許せる渦のような人だ。
それでも昔の話を聞くと、どんどん語り出す。聞いてないことまで話し始める。私の能力では、彼の話を上手くまとめるには力不足と感じた。だが極力彼の適当さに合わせ、シンプルにまとめる事に努める。
彼はギターを15歳頃に初め、音楽と共に人生を歩んで来たと話す。高校時代YAMAHAのバンドコンテストで優勝し、音楽が生業となっていった。そして青年期、名古屋を起点に音楽活動をしていたと話す。 当時「自分にはファンクラブがあった!」と語る。それを大いに語り、「椙山女学院付属高校で!」と写真をみせてくれた。滑舌も最高潮だ。「え!これ別人!」と思わず声がでた。
80年代のバンドマン風貌だ。彼に近づく女子たち。当時を知る人はイメージできるだろうか。アイドルに向かって「キャー!」と黄色い声で集まる女子たちを。いい気になって彼が追っかけ女子と話し始めると。「なんや想像と全然違うやん!」と言葉が返り、決まって「あーがっかり」と言われるらしい。どうやら当時から、イメージとリアルの間にいろいろ事情があったようだ。
BAR WAHWAH
そうした女子が求めていたものは、表面的なビジュアルだったかもしれない。だが彼はあることに長けていた。それは人を巻き込む力だった。
30年ほど前、佐々木光(あきら)さんが経営する松阪のWAHWAHと言う老舗のBARでその力が発揮されていた。当時の事を佐々木さんのお店に伺い、話を聞くことができた。
WAHWAHは佐々木光さんが当時二十歳ごろから営業しているお店で、松阪のブルースミュージシャンの原型が生まれた。後に三重を代表するブルースバンド「えびす」が誕生する事になる。
佐々木光、中山剛、河内博といった名前は、若い頃から私も聞いた事がある。そして「パシペシプシペシ」「クソボケーズ」と聞いて反応できる読者がいたら、彼らは大きく喜ぶだろう。まさに三重の音楽シーンを熱くした伝説の面々なのだ。
その中で中田島先生は、持ち前の引き込む力で、ブルースを彼らと共に地元に根付かせた一人となっていた。
ギターの音色は疲れた心を癒してくれる。
巻き込み力はどこから
実際どうすれば人を巻き込む事が出来るのか。答えのヒントを得たいため彼に電話をかけた。するとギターレッスンをしている。
「もしもし!」「あ、ちょっと待って!」
どうやらレッスンを止めて対応してくれているようだ。
少し時間をおいて、「まず知識、そして知恵かな」と話す。もともと物事を探求するのが好きで、音楽家として技術を自分で探し、高めていった話をする。
例えば昔、彼のボトルネック奏法を見たミュージャン達から声をかけられた。その日のライブの後、彼の奏法の話を聞いた彼らは、ボトルネックを楽器屋で一気に5本買っていった話しする。
ミュージシャンの言う知識と、知恵は少し違う。当時、専門的なギター教材はない。もちろんインターネットもない時代だ。一般の人がまだ知らない技術は、自分の探求心がなければ見つける事が出来なかった。
ブルースはギターが枯れて擦れる音。弾けそうで弾けない手の届かない不思議なレコードの音。聴いた事はあるが、ただコードを押さえ弾いても、レコードと同じ音は出ない。どうすれば同じ音が出るのか。
そこで探求し模索し続けた。やがて瓶の頭をを切って演奏する事、チューニングを変える事などの答にたどり着く。当時ガラス瓶の切れっ端でギターを弾く事は考えられなかった。こうした自分で探し当てるプロセスが、演奏テクニックの知識の引き出しとなっていった。
現代では、様々な奏法を教えてくれる教材や教室がある。答えを知る事は簡単になった時代だが。いざ現場に立てば、また違う壁が出てくる。そしてまたつまずき悩み学習する。そこで知識ある人は人を巻き込み、その繰り返しに力を借り力を貸し、また力を得る。渦のようにそれは繰り返し、ある部分に関し曖昧ではなく自分を客観視する。そして「「積極的な明るさ」だと彼は話す。
この積極性とはお節介ではない。それは遊びの振り幅となって自由に動ける空間を作る。そして明るさは、思いの強さ、熱量だ。彼は「論じた事に対する実証を明るく行う事だ」とさらっと言う。そして最後に、「そこに適当が必要だ」と締める。
ギターの音が聴こえる
彼の性格や巻き込み力を考察して行くと、アドリブで弾くギターの音に聴こえてくる。その演奏するコツにどうも似ているようだ。
「起承転結を作りなさい」と若い頃、先輩ミュージシャンから教えてもらった事がある。これは人をひきつけるコミニケーションにも当てはまる、とても大切な言葉に感じ、少し辞書で調べる事にした。
起: 事実や出来事を述べ
承: 解説し問題点を述あげ、感想、意見する。
転: 関係のない別のことがらで比喩し。
結: 全体を関連づけてしめる。
こうして活字で見ると
また新たに腑に落ちる部分もある。
ではここから起承転結を意識して
進んでみよう。
アドリブの起承転結
起:そもそも演奏者は旋律に隠れた数学の奴隷だ。アドリブとは譜面に書かれた音符をなぞる音楽とは違う世界である。感覚的な音楽の世界があり、数式ではない心地よさや絶対的な安心感、高揚感などがある。
時にアドリブは、演奏者の人柄や生き方まで露骨に見せる。基礎を支配をする音に自由なフレーズが混ざる時、人が風を心地よく思うに音を感じ、会話するように意味を味わう。
コントラバスも同じくアドリブを奏でる。一緒に活動していた平八画房、阪井さん。貴重な写真が出て来た。
承:2018年の春。30年ぶりに揃った三人が写真を撮る事になった。そして彼らの演奏する姿をみることが出来た。少し時間は経過たと言うが、その音は深く、研がれた知識と模索された経験を感じた。いつまでも仲間だと感じる音の会話が会場に広がる。この日を機に、2018年9月1日に当時のWAHWAHメンバーが鳥羽に集まる事になる。
転:人の営みや命を繋ぐ三つ「衣、食、住」がある。的を射るために負けない「三本の矢」がある。物理的に安定させる「三本の足、三脚」があり、生きるための三つのコミニテー「家族、仕事、仲間」がいる。そして「三人の仲間」。基礎が据えられた音楽の世界には、そんな山がそびえる。その頂きに向かう登山者に湧き出る水は潤いとなる。そして音楽に打ちのめされるが、それが心地いいのだ。
結:誰でもある程度の重荷を負いながら歩き。誰でもそれぞれに思い当たる山がある。 たとえ頂きから離れてしまっても、たとえ頂上が見えなくても、意外と湧き水の蛇口は思いもよらない所にあったりする。
物事はいたって単純な方に流れ、単純な方こそ永く続く。あなたの場所から歩いて1分、走って28秒,もし元陸上部なら18秒の場所かもしれない。
アドリブは適当。それはつまり物事を単純に合理化し、適材適所に配置する作業。複雑な事を単純にできる人こそ才能の持ち主である。そして人は、人をひきつけ巻き込む。
こうした音楽のような会話はこれからも続いていく。それを聞き分けるのはあなた次第だが、奏でる当人には、言葉以上にキミに伝えたい想いがあるもなのだ。
Special Thanks
中田島ギター教室
TEL 0598-28-5360
携帯 090-8556-4609
WAHWAH
松阪市春日町1-20
TEL 0598-23-3153
松阪M’AXA
ACOUSTCAL
ミュージシャンの湧き水的な音楽イベント「アコースティックカル」。イベントタイトルに i の文字が無いのは、参加者が i を持ち寄る音楽フェスだから。例年9月の第一土曜日に開催、2018年は9月1日土曜日開催。
おまけの動画
昨年の記事はこちら↓
yoshitugu imura。Otona記者。サーファーからフォトグラファーに、海に持っていったギターでミュージシャン活動もする(波音&Ustreet )ドブロギター奏者。 伊勢市在住。この記者が登場する映像