2017年8月6日 志摩MASTERS
強い日差しに照らされたビーチでは、ほんの一時で赤く日焼けする。志摩の南張海岸では、第9回志摩MASTERSショートボードチャンピオンシップが開催されている。
そんな海の中に、チャージサーフボードの奥村さんが大会に出ている。彼は、地元サーファー達の活動を古くから支援してきた人だ。その彼が寡黙に競技サーフィンをしているのだ。
普段、大会運営等の舞台裏で目にする事はあるが、
彼の選手姿はとても珍しい光景に見えた。
その理由を12月に知ることになる。
オフショアと言う風
これまでにいい波がなく延期が続いたいたが、2017年8月初旬、台風が理想的な進路をとり連日うねりがヒットする。
志摩LS実行委員は波が来る事を信じ、8月6日の開催を決めた。この決定には理由があった。
それは、
「中途半端な波で開催をするな」と言う
先代サーファーからの精神が、
今の世代に
受け継がれているからだ。
そのポリシーはまるで遺言のように、彼ら若手のローカルサーファー達をオフショアの風のように整える。
その風は白く崩ていく波の表面を綺麗にするのだ。そして旅の終わりを見届けるかのように、サーファー達が波との時間を共有する。
被写体としての究極は、人が自然と関わる形の磨かれた像なのかもしれない。太陽、波、サーファーと熱意。撮影素材として申し分ない日だ。
だが、
ある異質感を感じていた。
それは
彼がいないのだ。
Local Surfer 森本健二
彼は末期ガンだった。冒頭のチャージサーフの奥村さんは、闘病を続ける彼の代わりに、大会での優勝を目指しエントリーしていたのだ。
死期が近づいた12月「けんちゃんの写真を探しているんや!」と奥村さんから連絡が来た時、夏の寡黙な姿の理由を知った。
そして二人で過去写真を探し、いい写真が出て来るたびに、立ち止まるように眺めた。撮影したサーファーの中でも特にカット数が多いのは、彼と共有した時間が多かったからだ。
写真は記憶を蘇させる。
国府の浜のテトラが砂浜の半分まで埋まってきた頃、6番と呼ばれるポイントでよく海に入った。
波のいい朝一に海に出かけると、車で寝ている私を彼はゆりうごかす。「井村くん!海にはいろや!」と。
波に乗りまたパドルアウトする。すると沖には彼がいた。若い頃それが永遠だと思っていた。
30代の頃、私にブランクのある時も彼は優しい。「また海でまってるよ!」と声をかける。そして「波あるよ!」の電話がかかってくると、私はカメラを持って海にでかける。「俺を撮ってな!」と笑って言う彼は、私の被写体となり、サーフィン撮影の練習相手となった。
亡くなる少し前、彼と話ができたのが救いだった。密かに彼を記事に残しておきたかったので、志摩マスターズの話題を持ち出した。
「波乗りをしていなかったら、何をしていたか」と質問したが愚問だった。彼は亡くなる時も海に一途な人だった。
そして何より「波乗りをしていてよかった。」と言う。この当たり前のように言う言葉に深さを感じる。そこには彼の、またサーフマスター達の生き方や価値観が見えて来るからだ。
SURF MASTERとは
サーファー達が尊敬するサーファー姿とは、ただ波に乗るのが上手いだけではない。ずっと海とかかわり、サーフィンの未来を考え、周りの人々にいい影響を与えつづける存在。それは自分さえよければいいと言う人ではない。
また、地元で生まれたローカルサーファーと言う事で、自動的にその存在になれるわけでもない。尊敬を受けるサーファーは、自分をさしだせる人、何よりも海への真の愛がある人だ。
例えば、仮に他のポイントでサーフする時、全てをわきまえて行動でき、様々なトラブルが起こっても、円満に解決できる人だ。
若い世代の話にもなった。オリンピック競技にもなったサーフィンは、若いエネルギーと技術の勝負になっている。そうした大会にのぞむ後輩世代を、全力で応援していきたい心を持ち続けていた。
彼との会話は、過去4回優勝をしてきた事や、今大会での出来事。時々笑いも出た。そして奥村さんが、彼の想いを受け継いで大会にエントリーした事。でもファイナルに届かなった事が話題になった。
マスター達はサーフィンで競う事で、コミニケーションが生まれる事を知っている。だが勝ち負け以上に、波に乗るプロセスを見ている。彼らは年齢に応じた観点で他者を見るのだ。
それはただ横を見渡すだけではない、今まで経験した価値観が土台となり、高さや深さを見ようとする。
例えばそれは、人としての体幹が養われているのか、また波を捕まえる感覚や、俯瞰で己を見れるようなセンスを感じ取っている。
マスターズは例えファイナルに届かなかったとしても、海に向かう姿勢が人の心に伝わる事がある。それは正しいジャッジで勝利したとしても、そのプロセスに本質がないなら、サーフスタイルの伝わり方も違ったものになってしまうのだ。
サーフスタイルとは
波の個性と乗る人の個性のマッチング。サーフィンは波を見つける段階から始まり、準備ができているサーファーが当然いい波を見つける。
ただ波に乗るなら、板の浮力を利用して、楽に波を乗りこなせればそれでいい。
でも「ローカルなら!」森本健二は言う。「ホームポイントで大きな波が来れば、その波に乗らんといかん!」
巨大な波が来るポイントでは、波底から吹き上げてくるうねりの風がサーフボードをバタつかせる。「浮力と揚力の関係が問われる。」そんな話をする。
そして彼が、「浮力が邪魔をして、命を奪うような波から逃げる事ができない時も知っている」と言う。それは「生きるために必要だと思っていた事が、実は余分となっていた」。と言い換える事ができる。
「大きな波をどう乗りこなすか、だから今でもいろんな経験がしたい。その時失敗してもそれでいい。サーファーは誰よりもいいサーフィンがしたいんだ。ハワイを乗りこなすサーファには勝てないが、自分から逃げたらだめだ」と。
失敗を真摯に取り組み、純粋な姿勢を続けるなら、いずれ成功へ導く経験となる。もし今、何かで苦しく、折れそうで、涙が滲むようなら。ローカルサーファー的生き方を思い出してほしい。私にはそう聞こえた。
誰でもパドリングは必須で、波が大きければ苦しい。でも心が学んだなら、澄み切った目で目標を恋人のようにみる。たとえそれでどんなサーフィンをしたとしても。自分が目指したもの、場所、仕事、人間関係。いずれそれが磨かれたあなたの、サーフスタイルになるのだ。
波は風に帰る
2017の志摩マスターズは、サーフィンに対して一途な自分のスタイルを生きてきた男達が同じ時間を共有した。優勝者には勝利者だけが抜くことができる刀が与えられる。
志摩MASTERSは、この誉を手にしようとするサーファーが、己の波乗り人生を他者に感じてもらう場であった。
SURF MASTERとは誇りある生き方を伝え
SURF MASTERとは金銭に代えられない熱さを持つ。
SURF MASTERとは大きな波に静かに立ち向かい、
SURF MASTERとは純粋な目で見つめるサーファーだ。
浜辺に打ち寄せる波が彼らの存在を知れせ。崩れた波は風になり意心を継ぐ者にまた波を届ける。その波が証明書となり、その上に立つ者がまた次の生きた証しをするのだ。
ISE LOCAL LOCATION
Special Thanks
志摩MASTERS
Mr MASTERS
森本健二氏。
最高で最強の仲間達に見送られ、
50代では無敗で旅立ちました。
健ちゃん…
貴方が作り上げた歴史を後輩達は、
語り受け継いでいく事でしょう。
もっと一緒にバカをしていたかった…
志摩LS実行委員委員長
岩本和樹
@南張2017.8.6
おまけの動画
MASTERの定義とはなんだろう。
yoshitugu imura。Otona記者。サーファーからフォトグラファーに、海に持っていったギターでミュージシャン活動もする(波音&Ustreet )ドブロギター奏者。 伊勢市在住。この記者が登場する映像