ISE LOCAL LOCATION vo3
2016.02.14
春一番が吹くとニュースを聞いて、私はカメラを持って南の海に向かった。いったいどんな波がきているのだろう、どんな出会いがあるだろうかと、浜島町の南張海岸に車を走らせた。


2月だというのに、海は春本番の空気を感じさせている。波のサイズもまずまずだ。時折頭サイズの波が入って来ている。
この日、ローカルサーファーのほとんどは、午前中の波に乗っていたらしい。
午後は人も少なく、ゆったりとした時間が流れていた。私はカメラを取り出し、海に入っていた数人のサーファー達の撮影をはじめた。


波さえあれば必ず海に入っているあの人や、 Facebookで繋がっている友達もいる。そんな中、一人のサーファーに目が止まった。

「今日の波は捕まえにくかったです。」と海から上がってきた彼は、サーフボードを自ら制作するという森川さんだ。

彼の作る板は「 MOCCA SURE BOARS 」と言い、口コミだけの注文を受けて制作している。サーフィンが大好きだと言う彼は、青年の時の好奇心が自分を動かし、今日のサーフボード作りに至っている。
この日使っていた彼のサーフボードを見せてもらった。黄色の板に「 Mituven 」と書いたロゴ、ボトムには「 MOCCA 」とサインが書かれていた。少し話をしただけだが、彼が熱い思いを持ってサーフィンに取り組んでいる事、また情熱ある生きかたに、私は興味を持った。後日ゆっくり話を聞きたいと申し出ると、彼は快く承諾してくれ、彼の工房を見せてもらう事になった。
まるで秘密基地

彼の工房は、伊勢自動車道松阪インター近くの、看板も表札もないコンテナにある。
そこが彼の作業場だ。
兄弟でサーフィンを始める

森川さんは、もともとサーフィンが大好な少年で、地元伊勢のポイントに欠かさず兄と通っていた。さらに進化を求めて19歳の頃、宮崎に拠点を置いたという。そこでは真剣にサーフィンに取り組む人たちに恵まれ、純粋にサーフィンを極めていく事をめざせたと言う。だが周りの友達がプロサーファーになって行く中で、自分の才能が伸び悩む事に苦しんだ。
教科書のない道のり
そこで、彼はサーフィンに対する本気の気持ちをぶつける何かを探した。それで無償のサーフボードのリペアーを宮崎で始めたのだ。それは、自分の目指す目標ができた事を意味した。

サーフボードの作り方を、誰かが教えてくれることは決してない。でも修理となると色々なサーフボードを触る事ができる。それはある意味、職人の技を盗むことを意味することでもあった。そんな中、宮崎でお世話になっていた尊敬するシェイパーであった師匠との縁が、ある日を境に途絶えることになった。彼は打ちひしがれ、地元三重に帰ってきていた。

もう二度と失敗は繰り返したくなかった彼は、他の仕事を探し、車の塗装に取り組む事になった。サーフィンをする回数も年間数回程度と、今まで自分がサーファーだった事も忘れてしまいそうな状況になったと言う。
普通に働く事で夢に繋がっていく
次第に彼は仕事で評価を受けるようになり、塗装の仕事で他の事業所から彼は引き抜かれる事になる。転職の条件として「空いた土地にコンテナを置かせてください!」と懇願した。それはサーフボードを作るためだった。

彼は夢を持ち続けていたのだ。塗装の仕事もサーフボードを仕上げる際、必要だと思い覚えてきたという。
そして、最後に板の形状と感性の核心を求めて、あるシェイパーの門を叩きにカリフォルニアに向かった。

この時代、飛び込みで弟子にしてくださいという話はあまり聞かない。当然断られる事になる。でも彼は何度も足を運んだという。そして最後には Mitsven さんと言うシェイパーに出会い、彼の持つ情熱で信頼を勝ち得る事ができた。
彼が海で持っていた黄色いサーフボード、それは Mitsvenさんがテンプレートと共に彼に持たせたものだ。彼の情熱の色は黄色いサーフボードとなって、三重の松阪に帰国していた。
ドルフィンスルー(波をくぐり抜ける術)
サーフィンも仕事も、対人関係もそうだ。全てにおいて自分の心が描いたラインを進んでいく。サーフボードを作りたいと言う夢で始まったサーフボードリペア。
物事のはじまりは、とても地味で目立たないものかもしれない。時には距離が生じる場合もある。でもそれには理由があったりする。彼は最初に決めた自分の目標に向かって何度も挫折の波をくぐり抜けてきた。
サーファーには解る、波に乗るまでの過程がどれだけ大切な事なのか。この過程が人にとって、とても大切な財産になっていく事は真実だ。
宮崎を離れ何年も経った

自分のサーフブランドを立ち上げる際、どうしても会いたい人がいた。
「師匠、いま近くに来ているんですが会ってくれませんか。」彼は事前にアポも取らず宮崎まで向かった。そこで電話をかけ、どうしても直接話がしたいと、破門されていた師匠に会いにいったのだ。
師匠は彼と会ってくれた。「そうか、お前のやってきた事は風の話で聞いている。それで頑張っていけばいい。」そして、ある言葉をくれたという。

「物事はな、好きなものだったら耐える事ができるんや、がんばれよ。」と。師匠の教科書のない授業が、この時終了した。
向こう岸にあるもの
誰でも自分を見失い、つまずき、辛い時がある。
何度もその波が打ち寄せて来るものだ。
でも、
自分の「好き」がその向こうにあるなら、耐える事ができ、がんばる事ができる。

サーファーが何度も何度も波をくぐり抜けて
沖に向かって行くのは理由がある。
それは
「好きだから」

私たちの関心事に
「すき」
という二文字あるなら、
一心に見つめていきたい。
そして

この言葉が、どうか春一番の風に乗って
あなたの未来にまで届きますように。
MOCCA SURFBOARDS.
FACTORY 松阪市美濃田町1321
TAKAYUKI MORIKAWA / SHAPER
E-mail moccasurfboards@mac.com
OTONAMIE おまけの動画
https://youtu.be/WqZ08EfQgSg
ISE LOCAL LOCATION
伊勢をホームポイントにするローカルサーファーを撮り続ける。

yoshitugu imura。Otona記者。サーファーからフォトグラファーに、海に持っていったギターでミュージシャン活動もする(波音&Ustreet )ドブロギター奏者。 伊勢市在住。この記者が登場する映像