ホーム 02【遊びに行く】 祝!伊勢志摩サミット!〜鳥羽水族館は魚問屋だった!!の巻〜

祝!伊勢志摩サミット!〜鳥羽水族館は魚問屋だった!!の巻〜

シェア
今年4月に、累計入館者数6,000万人を超えた鳥羽水族館。5月には60周年を迎えた。そこで、若井副館長と冨田企画広報室主任に、”何か知られざる鳥羽水族館情報はないかな” と思い取材させていただきました。
村山「鳥羽水族館の知られざる、地元ならでは情報って何かありますか。」
若井副館長(以下副館長)「地元ならではの…。トピックを振って頂いた方が答えやすいのですが。う〜ん。今年で60周年を迎えました。母体は魚問屋としてスタートしました。
村山「え?魚問屋だったんですか!」
副館長「そうなんです。その魚問屋は今も隣りにあり、魚を取り扱っています。鳥羽水族館は先代の館長のお父さんが昭和30年5月15日にオープンしました。」
村山「いきなり驚き事実ですね。」
副館長「魚問屋と言っても、漁師さんからお魚を集めてそれをいけすに畜養しているんです。その活魚を東京・大阪・名古屋などに出荷していたんです。それを定期観光船に乗り降りするお客様が見て “ワーワーキャーキャー”と盛り上がっている様子に、オーナーは考えたんでしょうね。それで水族館(今のようなしっかりしたカタチではない)をスタートしたのが鳥羽水族館の始まりです。」
村山「面白いエピソードですね。では現在のカタチになるまで徐々に大きくなっていったのですか。」
toba02
副館長「そうですね。ひとつの転機として1984年。ラッコの赤ちゃんが日本で初めて産まれたのが鳥羽水族館でした。それまでラッコは絵本で見るくらいだったのですが、それが日本にやってきて赤ちゃんができた。ラッコの赤ちゃんが可愛くてですね、母ラッコも甲斐甲斐しくお世話をするんです。もうぬいぐるみみたいです。それを一目見ようと日本全国から殺到しました。1984年の2月に赤ちゃんが生まれて、春休み・ゴールデンウィークと鳥羽が大渋滞になりました(笑)。」
村山「そんなに凄かったんですね。私はその当時5歳ですが、ラッコ=鳥羽水族館のイメージは今でもあります。」
副館長「伊勢まで渋滞ができる程でした。ラッコブームと言われ、その後他の水族館もラッコを入れ始めました。」
副館長「その後平成6年に新館をフルオープンしました。それまでは国道の西側、ここから300メートルほど離れた場所に旧館がありました。」
村山「旧館から新館への移動ですが、魚や動物はどうやって移動させるのですか。」
jugon副館長「トラックにタンクを積んで運んだり、例えばアシカなら檻へ入れてクレーンで吊り上げて屋上から入れたり、ジュゴンだと高所作業車の上にコンテナを乗せて運んだり、ある人はバケツに魚を入れて走ったり(笑)。それは大変でした。かなり計画を練って実行しました。」
村山「この先、企画していることはありますか。」
副館長「実は10年前から今年の60周年に合わせて、各エリア毎にリニューアルを行ってきています。その集大成として“奇跡の森”というエリアが今年の3月21日にオープンしました。そこに猫がいます。」
村山「水族館に猫ですか。」
副館長スナドリネコ(漁り猫)という猫で、水に入って魚を捕ってくる猫です。」
副館長「あと “へんな生き物研究所” が二年前にできました。本当にへんな生き物が沢山います(笑)。ダイオウグソクムシってご存知ですか。」
toba04
村山「へっ!うわぁー…。」
副館長「世界最大のダンゴムシです。」
次回へ続く…。
いかがでしたか。
へんな生き物研究所は、また次回の記事で。おたのしみに!
鳥羽水族館
住所:鳥羽市鳥羽3丁目3−6
TEL:0599-25-2555
ホームページ
yusuke.murayama

村山祐介。OTONAMIE代表。OTONA MASTER。
ソンサンと呼ばれていますが、実は外国人ではありません。仕事はグラフィックデザインやライター。趣味は散歩と自転車。昔South★Hillという全く売れないバンドをしていた。この記者が登場する記事

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で