ホーム 02【遊びに行く】 三重の南部地域が独立宣言? 謎の県【度会県】が誕生してる…ってホント?

三重の南部地域が独立宣言? 謎の県【度会県】が誕生してる…ってホント?

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どうも巷に、昨年の夏ごろから、まことしやかに流れている不穏な噂がある。

『三重の南の方の地域で、住民たちによる謀反が始まっているらしい。』

『そして、この3月中旬に、その決起集会が、三重の某所であるらしい。』

そんな物騒な情報を入手した筆者。これは、三重県の一大事、OTONAMIEの読者にもその事実を伝えなければ。と、筆者は、3月のある日、その決起集会 “集い”とやらに潜入してみた。

 

 

決起集会の会場は、伊勢市二見町の賓日館。

伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として明治時代に建てられた、歴代の皇族や要人も数多く宿泊したと風情ある建物である。聞けば、国指定重要文化財とかで、贅を尽くして建てられたことが分かる調度品や細工が、建物のあちこちで見受けられる。

素晴らしい装飾と建築。

これはこれで一本の記事にしてOTONAMIEで紹介出来そうだ(が今回は省略)…などと、賓日館に感動していると、奥から決起集会の案内人が現れ会場に案内された。

 

“集い”にご参加の方ですね。どうぞ、こちらです。

【度会県】って何だ?聞いたことない。『県民大募集』とある。もしや、三重県からの独立を謀っての…!やはり、謀反か反乱か?!

窓から二見の海が眺められる趣のある和室の広間には、続々と人が集ってきていた。

会の首謀者らしき人たち、その背中には【度会県】の文字が。やはり『三重県からの独立を謀る』為の決起集会なんだろうか…。筆者に緊張が走る。

 

そして、筆者絶対的なアウエーの空気感の中、静かにその“集い”は始まった。

穏やかな語り口で登場したのは、皇學館大学文学部国史学科の谷口裕信准教授。

これから「度会県の歩みと府県のかたち」というテーマでの講義をしてくれると言う。聞けば、今の三重県になる前の近代初頭(明治4年頃)には、安濃津県と度会県の二つに分かれていたとか。

 

ここで、Wikipedia風【度会県】説明

明治政府による明治4年に実施された廃藩置県により、江戸時代から続く「藩」を廃止し、三重県地域は、伊勢国北半分と伊賀国からなる安濃津県と、伊勢国南半分と志摩国、紀伊国牟婁郡の一部を加えた度会県に分けられた。

その後、明治5年に、安濃津県は三重県と名称を改称し、度会県の一部が三重県に引き渡され、明治9年には、三重県と度会県は統合され、今の三重県が誕生した。

その他にも、谷口准教授からは、三重県誕生の背景や、旧三重県と度会県の「南北問題」、奈良県と度会県に囲まれた和歌山県の飛び地の話など、興味深い話を伺うことが出来た。

 

なんと!【度会県】は実在した県だったのか!

 

住んでいたのに、これまで知らなかった三重県の歴史。これはこれで、一本の記事にしてOTONAMIEで紹介出来そうだ。(が今回は省略)


一通り話を伺って、自分の住むこの地域が昔【度会県】だったことは理解出来た。だから、【度会県】の横に『復活』と書いてあったんだ。でも、ここで筆者は、さらに疑問が湧いてきた。

で、【度会県】を『復活』させて、いったい何をするんだ?

 


そんな筆者の疑問に答えるかの如く、次に登場したのは、皇學館大学教育開発センターの池山敦助教。これから「みんなで築き上げるこれからの度会県」と称して、【度会県】の未来に向けて、集まった人たちで話合うとのこと。


話し合う…と言っても、今日あったばかりで年齢も職業も性別も違う知らない人同士、どう話ししてよいものやら…と、戸惑うものの、フレンドリーな笑顔でテンポよく話する池山助教に乗せられ、気が付けば会場の参加者は7つのグループに分かれて、車座に座っていた。

話合うテーマは、「度会県と私」と、「度会県の未来」の二つ。

話合いながら、「度会県と私」と、「度会県の未来」について、思いついたことを台紙に書いていく作業を続ける。

部屋のあちこちから声が聞こえ、台紙に参加者の声が次々と書き込まれていく。

参加者の声は様々だった。「人が暖かい、穏やか」「食べものが美味しい」「古代からの自然が凄い」と言った肯定的な意見もあれば、「少子高齢化、過疎化」や「子育てをする上での病院の不足」「職がない」などの、現実的な問題も聞かれ、台紙に書き込まれた。

いや、現実の地域に対する不安や不満、このままではいけない、と言った声の方が多かったかも知れない。でも、その声のどれもが三重県南部地域【度会県】を“何とかしたい”“良くしていきたい”という、“想い”のこもったメッセージだった。

「自分は何とかしたいと思っても、地域の人みんなが、同じ気持ちではないこともある」「地方創生・地域活性化と言っても、どう活性化するのか、都会と同じ様な生活になれば、活性化したと言えるのか、果たして都会と同じ生活でいいのか、この地域の価値は他にあるのでは…と考える」

皆に影響されいつの間にか、筆者も自分の住む地域、【度会県】に対しての熱い“想い”を語っていた。

【度会県】は、謀反・反乱どころか、三重県南部を愛する人たちによる、地域をより盛り上げていこうとする、新しい地方活性の為の取り組みだった。

様々な価値観を持つ者同士が住む地域、一筋縄ではいかない事も多い。それでも、一人で悶々と考えるよりも “想い”を聞いてもらい相談し語り合った方が、その先に進める。

 池山敦助教が語る。

『学校や会社、家族といった強い繋がりである組織をまたいだ、今日ここで皆さんが出会った様な弱い繋がりが生まれること。人と人との繋がりを少しずつ増やしていくことが、ネットワークとなって地域の力となっていくのです』


集まった者同士、一つになっての記念撮影。何かが生まれそうな瞬間、人の表情はこんなに晴れやかになる。これこそが【度会県】の取り組みなのだ。


私も【度会県】の為に、自分なりに出来るなにかをやってみたい!賓日館を後にする頃には、【度会県】のロゴ入りジャンパーを着ている自分が居た。

終了した後、“集い”の場から観えていた二見の浜に降りてみた。この浜の風景は、この地が本来の【度会県】だった頃にも同じような浜だったのだろうか。とふと思う。

 会場に居た誰かが言っていた「度会県は、不便なところも多いけれど、不便なだけに昔の自然がそのまま残っているんだよね」という言葉が耳に残る。

きっと、この浜も同じ様な風景だったに違いない。明治の人と、平成の今の自分が観ている風景が同じって凄いことだ。

変革する今の日本、明治の頃の風景が残っている場所は多くない。

そう思うと、一層この場所が、とても価値のある素晴らしい宝物の様な場所に思えてきた。そして、この浜を【度会県】を、良い未来へと繋いでいきたくなってきた。

自分の暮らす地域を良い未来へと繋ぐためには、今、ここに住む私たちの行動次第だ。

 

一人ひとりが地域の力になる【度会県】。興味があったらココをチェック!

度会県公式サイト

https://wataraiken.com/

度会県Facebook

https://www.facebook.com/wataraiken/

 

 

 

 

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