ホーム 02【遊びに行く】 いつもお世話になってます!三重県の大動脈、国道23号線を疾走した全日本大学駅伝。

いつもお世話になってます!三重県の大動脈、国道23号線を疾走した全日本大学駅伝。

 

まだ記憶に新しい・・・( 記事にするには、ちょと古いかしら!? )
先月11月5日に行われた、第49回全日本大学駅伝。

箱根駅伝、出雲駅伝と並び、日本の大学駅伝チームの日本一を決める大会の一つだ。

初めに言うが、私は「駅伝」や「マラソン」という響きには、あまりに鈍感だ。
お正月、必ずと言ってもいいほど、毎年実家では箱根駅伝の映像がテレビから映し出されていた。
日本人であれば、多くのお正月がそうではないだろうか。
選手の懸命な走りを見て、手に汗握るレースをじっと見守るのだ。

なのに、だ。
私は毎年ずっと、横目で見ていただけだった。
というか、ほとんど見ていなかった・・・

 

見慣れた景色を、選手が走っているではないか!!

 

コースは、愛知県名古屋市熱田区の熱田神宮西門前から、
三重県伊勢市の伊勢神宮内宮宇治橋前までの間の8区間106.8kmで争われる。

日常で、私は車でも自転車でもよく使う、国道23号線。
三重県に住む方なら、大半の人がお世話になっているはずだ。
ここを選手が走るのは、知っていた。


      大会のロゴも、シンプルで好きだ。


新聞には、中継点と先頭通過予想時刻まで記されていた。

テレビを点けると、見たことのある景色。
四日市から鈴鹿に入ったあたりだ。

出掛ける準備をしながら、テレビで、駅伝をちらちらと見ていた。
この日は、第1日曜日だけに行われる、松阪のマーケットに行くつもりにしていた・・・


、なんだかそわそわしてくるのだ。

しばらく選手の走りを見ているうちに、選手を見に行きたくなったのだ。
「あ、もう松菱(みなさまご存知、津の中心地にある百貨店)じゃん !! 」
先頭の選手が、もう近くまで来ているのだ!!

 

 

直前にタナカは行き先変更。間に合うのか!?

 

月1回のマーケットより、年1回の駅伝だ!
急きょ予定を変更して、私は自転車で、国道23号線へ向かうことにした。

13分だ。
少なくとも、自転車で飛ばして、家から最短で23号線まで出るには13分はかかる。
雲出本郷町の交差点までが、勝負だ。

スタートを切った。出だしから飛ばすタナカ。すぐに国道165号線に躍り出た。ここからは一直線だ。今年購入したチェックのロングコートを翻しながら、ぐんぐんと速度を上げる。この区間にある、多少の上り下りの坂やデコボコした段差の多い道のりは、タナカには何の問題もない。先頭に立つ選手を見たい・・その一心で、一気に駆け抜けた。

 

間に合った・・

沿道には、ずらりと多くの人が、選手を今か今かと待ち構えていた。

 

 

目の前で繰り広げられる接戦!!

 

しばらくすると、「統括」と書かれた大会関係の車が。

間も無く来るのでは・・!? 思わず乗り出してしまう私。

それにしても、すごい。
さっきまで、先頭の選手は松菱前を走っていたのだ。松菱からここ雲出まで、かなりの道のりがある。その距離感は、住んでいる地元だからこそ、分かるのだ。普段の日常生活に置き換えてみて、初めて選手の走りの速さを実感した。体感できたのだ。

 

来た・・!!

さっきテレビで見た時は、松菱周辺では、東海大が先頭を切っていた。
だが今、神奈川大が東海大と並び、かなりの接戦になっているではないか!

 

すごい。
目の前を、一瞬で走り去った。
こんなスピードで走っているのか・・
思わず、力強く拍手を送った。
 

 

スタート地点の熱田神宮からのタイムが表示されている。

 

程なくして、青山学院大と東洋大が続く。
青山学院!ちょっと苦しそうだ・・

こんなに近くで見られるなんて・・
選手の息づかいが聞こえる。
拍手を送らずにはいられない。

 

今年、伊勢の皇學館大が初出場というではないか。
すごいことだ。心からエールを送りたい。

その後、出場する全ての大学25校の選手を、この場所で見届けた。
近くにいた威勢のいいおじさんは、最初から最後まで、懸命に走る選手の大学名を、通過する度に叫び応援していた。

 

 

勝負の行方が気になる、今までにない私。

 

家に帰って来た。

さっきまで、目の前で見ていた選手の勝負の行方が気になるが、
そうだ。
不思議な感じだが、テレビで続きを見られるのだ。
ここまできたら、ゴールまで見届けないわけにはいかない・・

こんなにかじり付いて駅伝を見たことが、私の過去にあっただろうか。

最終区、神奈川大のアンカー鈴木健吾が東海大を引き離し、1分18秒の差をつけて優勝!!

「どんな展開でも、トップを狙っていくつもり」
と言い切っていた、鈴木健吾選手。

「勝たなくてもいいから、負けるな。」
と言っていた、神奈川大を率いる大後栄治監督。

私の中で、心に残っている言葉だ。

 

私が書きたかったのは・・・

 

私がここで書きたかったのは、この駅伝の勝敗ではない。
「全日本大学駅伝」自体でも実はないのだ・・

この地に住んでいるからこそ、体感することのできた、私なりの駅伝。
鈍感な私が、ここまで夢中になったのだ。
国道なんて、日本中のどこに行っても、同じ景色でつまらないと今も思っているけれど、
伊勢路とも称されるこの道。この日だけは、心が掴まれた。

そう。いい場所に私は住んだもんだ!

 


 

 

新聞に書いてあった。
そうなんだ・・

初出場の皇学館大は、「駅伝」命名者ゆかりの大学らしい。
前身の神宮皇學館の6代目館長・武田千代三郎氏が1917年に、長距離走のリレーを「駅伝」と名付けたみたい。
日比勝俊監督は「100年目の節目に出場権を得られたのは何かに導かれたのかなと感じている」と・・・

 

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