ホーム 04【知る】 『粋』な縞柄模様の松阪木綿!!

『粋』な縞柄模様の松阪木綿!!

 

松阪木綿の撮影をさせていただきました。

私自身松阪在住ですが松阪木綿についてあまり知りませんでしたが調べると松阪木綿の歴史に驚嘆しました。

 

〜松阪木綿とは?〜

五世紀の後半、現在の三重県松阪市に渡来した「漢織(あやはとり)」や「呉織(くれはとり)」によって、日本で初めて紡織のメカニズムが持ち込まれました。その後は高度な技術によって、当時の日本の一大紡織の中心地となります。

十五世紀になると、エジプトやインドを原産地とする「木綿」が日本に伝えられ、十六世紀初頭に「松阪木綿」が生まれたそうです。
その後は、江戸(東京)に店を構えた三井高利(越後屋、のちの三越)や太田利兵衛(松坂屋)、小津清左衛門(現小津和紙)、長谷川次郎兵衛(丹波屋)など、二百軒ほどあった呉服屋の実に七割を占めた松阪商人の才覚と、それを織りあげる松阪の女性たちの美意識によって、当時の江戸の人口の半分に相当する、年間五十数万反の売り上げを誇るほどの一大衣料革命を巻き起こしたそうです。松阪商人すごい!!!

松阪木綿の特徴である縦縞は「松阪縞」とも言われ、ベトナムから渡ってきた「柳条布」がそのルーツだと言われています。

現在でも、歌舞伎役者が縞の着物を着ることを「マツサカを着る」と呼ぶことからも、縞といえば松阪木綿が代表的な存在であったことがわかります。気質や態度、身なりなどがさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気があり、無駄に飾りたてず、派手に目立たぬことを「粋」と呼びます。
その「粋」を誇りとした江戸の庶民にとって、すこし離れると地味な無地に見えるが、よく見れば繊細なすっきりとした縦縞が走る松阪木綿は、正藍染めの糸を使い、洗うほどに深みを増す藍の青さを連ねた縞模様と素朴な風合いとが相まって、まさに「粋」の象徴でありました。

江戸の町には松阪商人の呉服店が連なり、まさに江戸の大ヒット商品となった松阪木綿ですが、明治時代に入ると次第に着物を着る習慣も少なくなり、松阪木綿の生産も大きく減少していきます。生産地である松阪に、ひと頃は千をも数えた織元ですが、現在はたったの一軒を残すのみ。この一軒だけで松阪木綿の全生産を支えているそうです。

現在、松阪木綿の紡織習俗は国の【無形民俗文化財】として見直され、よみがえりつつあります。

五百年もの長い歴史を持つ松阪木綿ですが、その魅力は今も衰えてはいません。

夏は涼しく、冬は暖かい着れば着るほど深みの増してくる松阪木綿是非着てみてはいかがでしょうか??

 

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