ホーム 04【知る】 三重出身の巨匠・市川崑はその時、伊勢の景色を思い出したのか?

三重出身の巨匠・市川崑はその時、伊勢の景色を思い出したのか?

2015年が三重県出身の映画監督・市川崑生誕100周年であったこと、そして私が2015年から三重県に特化したWEBマガジンの記者として記事を書き始めたこと、さらに2015年末のガキ使に年老いた石坂浩二が金田一耕助として登場してしまい愕然と悲しみの涙を流したこと、そして、2015年に尊敬する映画史時代劇研究家・春日太一さんの新刊「市川崑と犬神家の一族」が発売されたこと。
これは何かの暗示なのだ、という大きな勘違いを自覚しながら、三重県人ならば教養として知っておかなければならない巨匠・市川崑について書きたいと思います。

記事を書くにあたり少なくとも過去15回は見た横溝正史シリーズ第二作目「悪魔の手毬唄(1977)」を見直したが、相変わらず素晴らし過ぎたので市川ワールドの入口として紹介します。

「思い出すのも耐えられんのですけん、あの沼のことは、、」
《鬼首村の亀の湯に滞在していた金田一耕助は、そこの女主人リカの夫である源二郎が約20年前に顔面が焼け爛れた状態で惨殺された過去を知る。行方不明の犯人は当時村に入り込んでいた詐欺師の恩田ではないかと噂されていた。
この時期に村出身の歌手ゆかりが里帰りすることになり、街は歓迎ムードに包まれる。しかし、ゆかりは恩田が鍛冶屋の娘である春江に産ませた子であるため「詐欺師で人殺しの子供」と一部で言われていた。
そんな中、庄屋の放庵の元嫁おはんが復縁の為に峠を越えて村へ入ってきたり、ゆかりの同級生が村の滝壺で口に漏斗を差し込まれた状態で絞殺されていたり、村が少しずつ狂い始める。
金田一は事件が村に古くから伝わる手毬唄になぞらえて進行していることに気付く。》

無機質なファーストアングルから、タイトルの入るタイミング、突如入る音と絵での状況説明に食い気味のカット編集。
技術的な発明を挙げていくと夜が明けるので割愛しますが、言葉での説明がやたらと多い生温い作品に慣れた方には衝撃の映像体験になります。
アニメーターでもあった市川崑は絵コンテ至上主義者で、本作も芝居・アングル・色彩・質感の全てを細かく指示し撮影しています。完璧です。

この頃、妻であり最強の脚本家である和田夏十は闘病生活に入っていたが、市川は「久里子亭」名義でこれまで同様大きく脚本に関わっている。(名前からアガサ・クリスティを尊敬していたのは明確。中でも多分「そして誰もいなくなった」がお気に入りだったんじゃないかな。)

どこかのポッドキャストで春日太一氏が「悪魔の手毬唄は人間ドラマとしても素晴らしい。ミステリー映画って初見では犯人探しをしてしまう。しかし、細かく演出されている本作は犯人が分かってからもう一度見ると号泣できる。二回目の悪魔の手毬唄は最高!」と言った瞬間、私は指紋が無くなるほどの拍手をiPhoneに向けて繰り返した。

若山富三郎が立ち尽くすラストシーンの駅の名前と、金田一耕助の最後の言葉。
手毬唄をしっかり読むと浮かび上がる意味。
愛と憎悪が絡み合う相関図。
市川崑が三谷幸喜に与えた影響、そして、古畑任三郎のあの話とその犯人。
掘り下げるときりがない。

私が24歳の時に映画好きの父が他界した。それからは良い作品に出会うたびに(これオトンが好きそうだ、見せたいな。)と思ってしまう癖がついているのだが、市川崑にも同じ感情が湧いた。
幾何学的な画面作りを好んだ市川崑は、ウェス・アンダーソン監督「グランドブダペストホテル」の徹底したシンメトリー映像をどう思うだろう。
金田一が走るシーンに多用されるドラムのみのBGMが気に入っていたであろう市川崑は、2015アカデミー賞4部門受賞した「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」での全てBGMがドラムソロという挑戦と、天才ジャズドラマーであるアントニオ・サンチェスのプレイを気に入るだろうか。

今回、三重県と市川崑が結びついた瞬間は説明できない勇気というか嫉妬というか、とにかく複雑な喜びが湧き上がった。
細雪」「ビルマの竪琴」「炎上」「野火」といった素晴らしい作品群。
市川崑の功績は三重県下すべての中学校で、若者の可能性を広げる為にも教育するべきだ。

「犬神家の一族(1976)」で石坂浩二扮する金田一耕助が旅館の窓を開けて最初に見た風光明媚な景色は、幼少期に市川崑が過ごした伊勢の風景である。
きっとそうに違いない。

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